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仏事の心構え(87)

お墓 3

今月は「お墓」について、3回目のお話を致します。五重の塔がお墓であるというお話です。

お釈迦様が亡くなられて仏像が作られる前に、仏像の代わりに崇拝されたものとして、四記念処(しきねんじょ)があります。4つの心を正して念ずる所です。
1つ目が仏の生誕地ルンビニー、2つ目が悟られた地ブッダガヤー、3つ目が最初の説法を成された鹿野苑(ろくやおん)、そして4つ目は亡くなられたクシナガラです。

そこにお参りすることで、仏の遺徳に触れることができるとされたのです。それらの象徴として、順に仏足跡・菩提樹・法輪・仏塔があります。
最後の仏塔ですが、そこに仏の舎利(しゃりと読む。仏のお骨の意)を入れて、崇拝の対象としました。その塔を仏舎利塔といいますが、これはもともとお墓です。

当時のインドのお墓すなわち塔は、丸いお椀(わん)を伏せたような形をしていました。 そしてインドは非常に暑いので、死者が暑がるといけないと考え、塔の上に日よけの傘を指しました (お釈迦様の霊が塔の中にいるはずがありませんが、これは生きている人の思いやりの方法であったのでしょう)。

やがて傘の下にいくつもの壇ができ、その壇の上の傘も幾重にも重なっていきました。 一番下にあったお椀を伏せたような丸いお墓(これを伏鉢「ふくはち」という)は、やがて壇の上りました。 順に言えば、幾重にも重なった壇があって、お椀を伏せたような丸いお墓、そしてその上に幾重にも重なった傘が建てられるようになっていきました。

その形が中国や日本に伝わっていくと、幾重にも重なった壇が屋根になり、 その上に丸い形の伏鉢をのせ、さらにその上に幾重にも重なった傘が相輪(そうりん・塔の一番上にある美しい九つの丸い輪)になっていったのです。 これが五重(三重)の塔です。
五重の屋根があり、その上に舎利を入れる円い伏鉢があり、その上に相輪といって九つの輪を連ねた柱が立てられ、美しい塔が完成していったわけです。
五重の塔は、お釈迦様のお墓なのです。

少し分かりにくい説明でしたが、塔(お墓)を崇拝する心が、やがて五重の塔に進化していきました。 遺徳を偲ぶことは美しい行為であるということの現れであると思われます。