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仏事の心構え(84)

お墓 1

今月は「お墓」についてお話し致します。

昨今有名になって誰もが口ずさむことができるようになった「千の風」という歌があります。 詩の中に「私はそこにいません」と出てきます。亡くなって私はお墓にはいませんということです。 これは霊的な視点からみれば正しいといえます。もしお墓にいるようであれば、まだ成仏していないといえます。

ですから亡くなってお墓に行くという発想はおやめになったほうがよいでしょう。善なる生き方して、天(浄土)に帰るという考えのほうがよいと思います。

また歌の中に出てくる、千の風になってどこにでも吹いていけるという考えは、どんなものかと思います。 私たちは死ぬと霊的な存在になり成仏を果せば、次元の異なる世界へ行きます。それを仏界と呼ぶ人もいます。 仏教ではさまざまな天の世界を表現していますが、その理由は、生前の生き方や考え方、行動の善し悪しによっていく世界が決るので多くの天の世界があるのです。

風についていえば、亡き霊が風を吹かせて、生きている人に何かを気づかせようとすることはあるかもしれません。 要は科学的に風は自然現象ですし、宗教的観点からいえば、風は仏様から吹いてきた仏様のみ姿の現れであるともいえましょう。

もともとお墓は、亡き方の徳を偲ぶ場所なのです。そこにはお骨という亡き方の亡骸(なきがら)を安置しますから、 そこでお参りすることで、亡骸が安置さているという縁で、天の世界にいる先祖さまに、生きている人の思い、供養の心が通じていくわけです。

お釈迦様が亡くなられたときには、その遺骨を幾つにもわけ、幾つもの塔を建ててお参りしました。 それはその塔にお釈迦さまの霊がいるというのではなく、生きているときに説かれた教えを忘れず後世に残し、 お釈迦様のご遺徳をいつまでもたたえていくという証しで、塔を建てお参りしたわけです。

 お墓はこの意味で、亡き方の遺徳を偲び、先祖さまが残してくれた生き方や教訓を思い起こし、またそれを行って身と心を正すことで、家の平和と繁栄を祈る場所なのです。