今月のことわざは「光ある物は光ある物を友とす」です。
{『ことわざ・名言辞典』(創元社)を参考}
意味は、「物はみな同類同士が友人となる」とあります。
仲のよいことで一緒に行動するとか、
互いが愛することで、共に生きていく。そんな場合もあります。
趣味で同じくしている人が集まり、
この「法愛」を読みたいと思う人が、この「法愛」に集って学ぶ。
同じ考えを持った人たちが友となるわけです。
あるいは、なぜこの子がダウン症なのかと、
その子の母が神に執拗にすがり詰め寄っていたとき、
こんな言葉を古い本の中に見つけた。
「神はアサガオの咲く刻さえ正確に設定している。
ましてや人間に対しても……」
そして我が子をありがたく思った。
光あるものは光あるものを友とした瞬間であったと思う。
今月のメイン法話の題が「人間として生まれてきて」でした。
この中に言い足りないところがあって、少しそれを書いてみます。
この世に人間として生まれてくることは、
多くの人とが触れ合って学びの場ができるということです。
どういうことかというと、あの世というのは、このことわざのように、
光あるもの同士が集う場なのです。
違った思いを持つ人は、同じ場にはいられないということです。
六道というあの世の世界があります。
上から天、人間、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄と分かれています。
その上の世界もありますが、たとえば餓鬼の思いを持つ人(霊)は、
餓鬼が集まるところに行きます。天には行けないのです。
源信が著した『往生要集』の中に、餓鬼の世界が詳しく述べられています。
たとえば、食吐という餓鬼がいるというのです。
身の丈は人間の2倍あって、しかも目がなく、
たえず熱い火が全身に充満しているという。
そこに行く人びとは生前、ものおしみをし、財宝をむさぼり、
生あるものをむやみに殺し、そねみねたんだ者が、
この報いを受けると書いています。
そんなところに善を積んだ光ある人びとが行くはずはありません。
この意味で、この世は多くの違った考え、
思いを持った人たちが互いに学び合う、そんな世界でもあります。
いい意味でも悪い意味でも、
互いに学び、人格を高められる場なのです。