魂修行というのは、あまり聞かない言葉です。
人格を磨くとか、人として立派になるとか、
そんな言葉は聞いたことがありますが、そもそも魂とは何でしょう。
私たちは生まれる時に、この肉体に魂が宿り、
その魂が肉体と重なりながら、この世でさまざまな体験をし、
魂そのものを高める。そんな考え方があるわけです。
そして、この肉体が使えなくなると、
この肉体から魂が出て、あの世である、
もともと住んでいた世界に帰るのです。
しかし、この考えを納得して認める人は多くはありません。
この魂というのは心そのものと言ってもいいし、
あるいは禅的には本来の自己とでも言ってもいいかもしれません。
この世では魂と肉体は一体で、
互いに影響し合い、暮らしています。
魂が優れていれば、その姿が顔や態度に現れてきます。
逆に魂が粗暴であれば、肉体の顔には、そんな粗暴な面影が出てきますし、
行いにも、他の人に迷惑をかける、そんな行動にも出てしまいます。
また肉体が健康であれば、魂も元気ですし、
病に侵されれば、魂も病んできて、生きる力を失いかけます。
しかし病の中でも、その肉体の痛みに耐えながら、
支えられている真実を悟れば、魂自身も感謝の念を深め、
さらに、病の場が、魂修行としての場に変わり、
優れた体験として智慧をえることができるのです。
このようなことを信じられない人は、
肉体が滅べば、すべてが無に帰(き)すと考えてしまいます。
この世で悪を犯しても、死んだら終わりだと言う。
しかし、生前犯した悪はどうなるのでしょう。
それでは、あまりにも不公平で、
お釈迦様が説かれた原因結果の法則に当てはまりません。
悪いことをすれば、この世で裁かれなくても、
あの世で魂となって移っていったとき、そこで裁かれ、
その悪のつぐないをしなければならない。
この考え方のほうが、自然であり、また悟り深い考え方であると思います。
そうであれば、肉体に宿った魂を、この世でどう生かし、
さまざまな苦労の中で、それを正しく生きるための智慧に変えていく。
そんな修行を積んでいくことが、この世に生まれてきた、
私たちの使命であり、目的であるような気がいたします。
今一度、肉体と魂の関係を、真摯に考えていく必要があります。