ごく一般に思うことは、花は語ることができないということです。
人とは、対話ができないと思っています。
晴れの日でも、雨の日でも、静かに黙って、
与えられた場所で咲いています。
「ああ、花は語ることがないのだ」そう思います。
しかし、花と語ることもできるような気がするのです。
昔から花には神仏が宿ることのできる、
「依り代」になると言われています。
仏前に花を供えますが、その花に仏様が降りてこられると信じられていて、
そのために花を供えると言われています。
池坊の花でも最初は仏前に供えるための花であったと聞きます。
さらには、その花をどなたがお創りになったかを思い起こしてみます。
ただ単に偶然に自然の中に花が現れてきたと思うのが
常識のように受け止められていますが、それを証明した人はいません。
この世にどれほどの種類の花があるかは定かではありませんが、
数えきれないほどの種類の花が四季折々に咲きます。
その花の姿を見て、
おそらく神仏がお創りになったのだと思わずにはいられません。
そうだとしたら、その花の中に神仏の思いが込められていることになります。
先に花に神仏が降りられると言いましたが、
降りられるにはそこに神仏と同じ尊さがなくてはなりません。
このことからも、神仏が花をお創りになり、その中に神仏の思いを入れ、
きっと花の笑顔や可憐さを人びとが見て、
苦しいときには、心を癒してくださいと思い、神仏が花をお創りになったのです。
花はその場に咲いて移動することができません。
そこから、花が語っています。
「今、あなたはその場にいて、大変な思いをしていると思います。
でもその場を逃げないで、その場で自分のできることを精一杯するのです。
きっとそこに、あなただけの尊い花を咲かせることができます」
そんな花の声を聞くこともできます。
そして自らの花を咲かせたとき、そこに神仏と同じ力が与えられ、
相手の人に、野に咲く花と同じように、安らぎを与えることができるわけです。
花はいつも語っています。
その花の声を聞いてみませんか。
きっと安らぎと生きる力をいただけると思います。