たとえば、何も使ってない部屋でもしばらくすると汚れてきます。
ですから、それ以上に普段使っている部屋は掃除をしなければ、
汚れがひどくなっていきます。
心も同じで、心を普段から気づかい、汚れないように掃除をしていなければ、
心にもほこりがたまって汚れてくるのです。
心の掃除にはさまざまな方法がありますが、
その一つに「悪を止め善を行う」という方法があるのです。
悪は心の汚れを表しています。
その悪を無くし善を行っていくことで、心の掃除ができるのです。
別の言い方をすると、これが心を正すことになります。
心を正すというのは、心の掃除をすることだともいえます。
先日、3月26日にお寺でお経会を致しました。
その折に、平成15年2月5日の読売売り新聞に出ていたある出来事をお話ししたのです。
今から14年ほどの前のもので、当時のお経会でお話したものであったようです。
お話しした当人が忘れていたので、参加されたかたも覚えていなかったでしょう。
その新聞記事に、「JR快速、温情、臨時停車」と見出しがありました。
千葉と東京を結ぶ線で、ひとりの女子中学生(15才)が
高校受験のために午前7時45分、反対車線の電車に、間違って乗ってしまったのです。
それを知った彼女は、不安のために泣き出しそうになりました。
近くでその様子を見ていた乗客のみなさんが、理由を聞いて、
親と話をさせようと携帯電を貸したり、車掌と相談するために、
満員の乗客の間を縫うようにして中学生を最後部車両まで、連れていってあげたりしました。
申し出を受けた車掌が本部と連絡を取り
「若者の将来がかかっているから」と臨時停車を決め、
その否を車内放送で乗客のみなさんに報告してから、臨時停車をし、
中学生を車掌室からホームにおろし、同駅の駅員に乗り継ぐ方法を教えてもらったのです。
そして、目的の駅に着き、受験に間に合ったという、そんな記事でした。
後にその中学生の親から、受験に間に合ったという感謝の電話があったといいます。
みんながこの中学生のために、正しい判断をされ、助けてあげました。
こんな善を積むことで、心の掃除がされ、心正して生きていくことができます。
心は汚れるものです。
それは悪という泥が混じるからです。
常に善というほうきで心を掃除し、正していくことが大切です。