耐え忍ぶ人生は、できればさけて、日々を安楽に楽しくすごしたいものです。
しかし、人生はそうはいかないものです。なぜでしょう。
それは生まれてきた理由にあります。
この世は濁世(じょくせ)と仏教では表現しています。
濁った世というのは、楽しみのほかに苦しみがたくさんあるということです。
子どものときには勉強をしなくてはならず、
勉強のできない国では小さいころから働かなくてはなりません。
大人になっても寝て暮らすことはできません。嫌でも会社にいって働き、
今日の食べ物を稼がなくてはなりません。
老いては明日の不安を思い、
あるいは病気で寝込んだり介護される心配も起こってきます。
最後は死の不安。そう考えてくると、苦の多い人生といえます。
この苦しみは木々の年輪ににて、人の心を引き締め、人格向上へと導いてくれます。
年輪をたくさんもつ木は固くしっかりして、家の柱に最適になります。
苦を乗り越えた人の人格は、しっかりしいて人の役立つ生き方ができるようになるわけです。
そんな目的をもってみな生まれてきたのです。
しかし、濁世といっても喜びはあります。
耐えて困難を乗り越えていくと、そこに得られるものは喜びであり、幸せでもあります。
こんな詩を見つけました。「未来」という題で、19歳の女性が書いた詩です。
「未来」
早朝の プラットホームに 老夫婦が佇んでいる
肩を寄せ 手を繋ぎ 少し丸い背中も似て
滑り込む電車の向こう 朝日がふたりを照らす
ああ私も いつの日か 彼等の行き先に
辿り着けるでしょうか(産経新聞 平成29年1月27日付)
こんな詩です。
19歳といえば、まだ結婚もしていない年でしょう。
そんな彼女が見たものは、おそらく苦労を共にしてきた夫婦が、
耐えて生き抜いて、今は幸せの光に包まれている。
そんな幸せな晩年を見て、私もこんな幸せの時を得られるでしょうかと、
自らに問いかけています。
19歳、これからの人生ですが、耐えて生き抜いて、
縁で出会った人たちと、手を取り合って支え合っていけば、
必ずこの老夫婦のように、喜びみちて、肩を寄せ、幸せな光に包まれる日がきっとくるでしょう。
この喜びを得るのも、生まれてきた理由なのです。