思いは自由になります。
この身体は、そんな思いと違って、自由になりません。
必ず老いて、病気になったり、衰えを感じては、不自由を思います。
そんな不自由な身体は、ほんとう自分ではなく、
この世で生きていくための乗り物、あるいは思いがまとっている
衣服にしか過ぎないかもしれないでのす。
そう考えていくと、思いが私自身ということになります。
どんな思いを、いつも心の中で抱いているかで、
その人の人柄や生き方がわかり、またその人自身の本来の姿がわかるのです。
この思いは相手にはわかりません。
言葉や行動に表して、初めてその人が何を考え思っているかがわかります。
言葉や行動に表さないで、思っているだけでは、
その人がどんな人かわからないわけです。
それに安心して、思いを野放しにし、
悪いことを考え、みだらな事を考え、不満や貪欲を思っていると、
心にその思いが染み込んで、取れなくなっていきます。
悪いことばかり思っている人は、表面は普通の顔をしていても、
本来の姿は悪人になるのです。ですから、思いを正すというのは、
とても大事なことなのです。
思いを正すというのを別の言い方にすれば、
自分自身を正すになります。
悪を思うのでなく、善を思い、その思いを言葉や行動に表していきます。
見えない思いなので、安心して、つまらないことを思ってしまいますが、
その思いを少し律して、いつも優しさとか思いやり、
感謝や慈しみの思いで、心を染めていくのです。
そうすると、その思いが私自身になっていくのです。
やがて死を迎え、この身体という乗り物を降り、
あるいは身体という衣服を脱ぎ捨て、あの世に帰ります。
そのとき、思いが私自身ですから、悪に染まった思いは、
そのような形に変わっていきます。
善に染まった思いは、光を放ったほほえみの姿に変わっていきます。
この真実を知れば、心で何を思っているかが、どんなに重要かを知るのです。
今日も、思いを正し、悪なる思いを律して捨て、善なる思いに、心を染めていきます。