誰しも苦難なときはあります。
平凡な生活をして、何事もなく一生を終える人は数少ないと思われます。
苦難を耐え忍び、乗り越えていくことが、木々の年輪や、竹の節にたとえられ、
人間が強くなってくうということを聞きます。
なぜ人は、苦難を乗り越えると、強い人間になっていけるのでしょう。
人には心があります。
この心は体験を通して、しっかりしたものに成長していきます。
この肉体は、ある程度成長すると止まってしまいますが、
心はどうも成長に限りがないようです。その心を鍛えるのが、苦難であるわけです。
そして苦難を経た人の言葉には力がでてきます。
三重苦を乗り越え立派にいきたヘレンケラーの言葉に、
自分でこんな人間だと思ってしまえば、
それだけの人間しかなれないのです。
という言葉があります。
ヘレンケラーが、もし目が見えない、耳が聞こえない、だから話せない。
こんな苦しみがあるならば、私は神様から見捨てられた存在だ。
そう思って生きていれば、そのような人間になってしまいます。
「人間には乗り越えられない苦難を神仏は与えない」と言われています。
苦難も何かそこに大きな学びあるからこそ、あると思えます。
もしかしたら、与えられているのかもしれません。
ヘレンケラーはこの三重苦を乗り越え、神様のことを、こう語っています。
人生は私たちが愛のなかで育つようにと
神さまが与えてくださったものだと思います。香り高い、色の美しい花のなかに太陽があるように、
私のなかに神さまがいらっしゃいます。
それは私の暗闇のなかの光であり、私の沈黙のなかの声なのです。
こんな尊い言葉を残しています。
神さまは暗闇の中の光であり、沈黙のなかの声と言っています。
目が見えない私に、神さまの光が見え、
耳の聞こえない私に、神さまの声が聞こえる。
ヘレンケラーのように、苦難の中に、こんな心境をえれば、
私たちも、どんな苦難にも生きていけそうです。