人はこの世に一人生まれ、
そして寿命がくれば一人で亡くなっていかなくてはなりません。
しかしこの世はロビンソンクルーソーのように、一人ではありません。
生まれるときも、一人では生まれてこられません。
死ぬときにも、大概の人は、誰かのお世話になって死んでいきます。
一人で穴を掘ってそこに入り、自分で土をかけて死んでいく人はいません。
人は一人では生きられないのですが、
健康で働き盛りの人にとって、小さなころ支えてくれた父母の恩を忘れ、
一人で生きているような錯覚に陥ってしまうのです。
そして、心貧しい人は、老いた母や父を粗末にし、
それを恥ずかしいことであると思わなくなってしまうのです。
一度、心静かに生かされてあることを感じ取ることが大切です。
生かされているから、ありがとうの言葉が出てくるのです。
あたりまえでない日常を悟り、生かされていることに感謝し、
ありがとうの言葉をよく使うことです。
法話の中で、
「みなさんは、うんちさんに、ありがとうを言ったことがありますか」
と尋ねてみると、そのような人にお目にかかったことは少ないのです。
うんちさんが出るというのは、ありがたいことなのです。
食べたものを消化し、いらなくなったものを、体の外に出す。
この働きを内臓さんが知らずにしてくれています。
その働きに気づいて、ありがとうの言葉を
うんちさんや、内臓さんにかけてあげるのです。
内臓さんに生かされている私たちです。
そんな境地を大切にすることです。
以前拾ってきた猫が、おなかを膨らませて、痛みに耐えていました。
交通事故か何かで怪我をし、おしっこやうんちがでないのです。
あまりにも苦しそうなので、お医者さんに連れていくと、
膀胱のところがうまく働かなくて、体のなかに
おしっこやうんちが出なくて詰まっているというのです。
さっそく一晩預けて手術をしてもらいました。
それから病気が治って、元気になったのです。
おしっこやうんちが出なければ、痛くて生きているのも辛くなります。
そんな経験をした人はわかるのですが、健康な人にはなかなかわかりません。
ほんの些細な例でしたが、こう考えていくと、数えきれないほどの支えによって、
私たちは生かされています。一つひとつ丁寧に思い起こし、
生かされていることを感じてみましょう。