これが自分だと考えられるのは、鏡で顔を見た時かもしれません。
そこに映っているのは、確かに自分です。
でも、考えてみてください。
10才の私の顔と50才の私の顔は同じでしょうか。
似ているといえば、似ていないこともないでしょうが、
おそらくだいぶ違う顔が映っているはずです。
10才の自分と50才の自分。どちらが本当の自分でしょう。
80才なればどうでしょう。この肉体は日々変化していきます。
さらには2年ほどで、肉体のすべてが入れ換わるとも言われています。
2年前の私は今いなくて、新たに細胞分裂した私が、
2年後、ここにいることになります。
そう考えると、この顔や肉体が本当の自分であるとは、考えにくいかもしれません。
名刺などに書きこまれた肩書はどうでしょう。それが自分でしょうか。
自分を紹介するには便利ではありますが、定年してしまえば、
その肩書もなくなってしまいます。
名前はどうでしょう。
一生変わらない人もいますが、お嫁に行ったり、
男性でも養子に入れば、名前も変わります。
思いはどうでしょう。
この思いは、誰にも束縛されず、自由に考え思うことができます。
肉体は束縛されても、心まで束縛することはできません。
70才になっても、思いの中で若くはつらつとして生きている人もいます。
そんな思いが本当の自分を現わしているのです。
70才で、年を取って生きていけないと思っていれば、
それが自分になります。70才でも優しさを常に大切に思っていれば、
それが本当の自分で、努力を惜しまない思いを持ち続けていれば、
それが本当の自分といえるのです。
「思いが自分」、これを禅的にいえば、一つの悟りといえます。
どのような思いで暮らし生きているのか。
その思いが自分であるならば、この思う自分を正しく調えて、
できるのであれば、多くの人に役立つ人生を築いていくことです。
そう思い、日々を暮らしていけば、自分が拡大していき、
さらに幸せを感じられるようになります。
この肉体が本来の自分ではなく、
その肉体の中に潜む思い(こころ)が自分なのです。
どうぞ、この自分をよく感じ取ってください。