人生の意味を知るためには、自分はこの世限りの人間か、
それとも、あの世があって、そこからこの世にやってきて、
今、心の学びをしている。このどちらの考えを取るかで、
大きく違ってきます。
もし、この世限りの人生であるならば、
理論的には、心を磨いて徳を積む。
そんな生き方をしなくてよくなります。
できれば生活に困らず、楽しく過ごせばそれでよい。
神様がいれば、そうなのかなあと思うくらいで、暮らせていけます。
そうではなくて、
私たちの命はこの世限りでなく、永遠の命をいただいて生きている。
この世に学ぶために天から降りてきて、さまざまな縁をいただき、
神仏に守られながら、心を磨いている。そう思うと、
まったく違った人生の意味になってきます。
仏教では後者です。
お釈迦様が亡くなられて2600年あまり、
お坊さんでもあの世のことを、確信を持って話せなくなっていますし、
あの世を否定するお坊さんもいます。
それでは、なぜ教えがあるのか理解できなくなります。
教えは、迷い深いこの世を生きていく光だからです。
お釈迦様は、生まれる前に天からこの世を見られて、
今どのような教えが必要であるのか、そのためには、
どのような人生を送ればいいのか、
そして私の教えが、どのくらい広がり、
人びとの心を正しい方向に導いていくには、
どのように教えを伝えたらよいのか。
そんなことを静かに考えられて、この世に生まれてきたのです。
この真実を、今は信じる人が少なくなりました。
何か困ったことや迷いのあるとき、
仏の説かれた光ある教えをいただき、
その教えに添って生きていけば、深くて暗い森という、
この世の生活に迷うことはありません。迷わず正しい道を歩んで、
心を磨き、人格を高め、いただいた寿命が尽きれば、
また元いた古里であるあの世の我が家に帰る。
そして、この世での体験を生かして、あの世でも多くの働きをする。
そんな世界観をもつことで、人生がさらに広がってきます。
学び多き人生を生きる。
そこに人生の意味があります。