3月になるとさまざまな花が咲きだします。
花にも心があるかどうかわかりませんが、
見る人によれば花に妖精がいて、悲しんだり、
ほほえんでいることがわかるようです。
特に私の知っている花屋さんは、毎日花と接しているのでしょうか、
花の思いや心がわかるといいます。
平成23年の10月ごろに、ブータンから国王夫妻が日本に来られましたが、
ブータンではハエが来ても殺さないし、花も切ると可哀そうなので、
仏様に献じるために生きた花は使わないようです。ブータンでは造花だと聞きました。
そんな話を聞くと、きっと花にも心があって、
私たちをさまざまな思いで見つめているかもしれません。
そんな花の思いを受け取って考えていくと、
花に「きれいね」といってあげればきっと花も喜んでいると思います。
花はきれいに咲くことが幸せであり、その花を見て、
多くの人が幸せになってもらえることが、きっと喜びであると思うのです。
自分の幸せがそのまま相手の幸せに通じていくという生き方です。
他の人のために自分が犠牲になって、相手の幸せを作るというのも、
尊いと思われますが、それを一般法則とすれば、犠牲になる人が結構多くなって、
幸せな町づくりはできなくなります。
そうではなくて、自分の幸せが、相手の幸せにもなる生き方が優れているのです。
また花は無心に咲いているから人を幸せにする、とよく言われることです。
「私があなたのために一生懸命働いて、幸せにしてあげた」
という思いがないというのです。
私はこの考えを本当だと思っています。
なぜならば、純粋に無心に花は咲いているから、きれいで美しく見えるのです。
人の心も同じで、
「あなたにしてあげた。こんなに頑張ってあなたのために、私がしてあげた」
という姿は、決して美しくはありません。
自分の思いを空しくして、相手を思う心が美しいのです。
こんなふうに花の心を見つめていくと、
もっと多くの心の思いが、花の姿の中に見えてくると思います。
花の心と私たちの心は、きっと、どこかで通じているのです。