良心といえば「良い心」と書きますので、
その声を聞くと、誤った方向に行かずに、
人として正しい方向、良い方向へと生きていくことができるということになります。
ある人がどうしてもお腹が空いて困り、
万引きをしたことがあったそうです。
その時には一時(いっとき)、飢えをしのぐことができたといいますが、
人のものを黙って盗んだことが忘れられず、いつまでも良心の呵責に悩まされたのです。
自分の良心が
「そんなことをしてはいけない。
人として恥ずかしいことなのですよ」
と、常に語りかけてくるわけです。
そんな人はまだ良心の声を聞ける人です。
最近は万引きもゲーム感覚でする少年がいるようで、
良心の呵責など、どこにもないようです。
万引きに成功すれば、ゲームに勝ったというぐらいにしか、
思わないわけです。良心はどこに言ってしまったのでしょう。
この良心は、見えないものへの信仰、信心と
深いつながりがあるように思えます。
昔、「お天道様が見ているから、悪いことはできない」といった、
何か尊いものを信じる心がありました。
そんな心があれば悪いことをしたときに、良心が
「そんなことをしていれば、どこかでお天道様が見ているぞ」
といってブレーキをかけてくれるのです。
あるいは悪いことをする前に、良心の声が止めてくれるかもしれません。
しかし、お天道様などあるはずがないとか、
自分の思いの中に、まったくお天道様などなければ、誰も見ていなければ、
人のものを盗んで構わないという生き方になってしまいそうです。
実はこの良心は見えない世界と通じていて、
良心を通じ、見えない世界からの声を聞いているのです。
この良心は仏教的には仏心といって仏の心ともいえます。
仏や神といわれる世界の尊い方の声を、良心、すなわち仏心を通じて聞いているのです。
それを全く信じなければ、尊い存在からの声も聞こえず、
また尊い存在も、導きの手を差しのべてくれないのです。
良心の声を聞く、大切な方法は、見えない世界の尊い方が、
いつも見守ってくださっていることを信じることから始まります。