見えないけれど、どこかに神仏がおられて、
私たちを静かな眼差しでいつも見守っています。
このことは、
信じるというレベルの世界ではなくて、確かなことなのですが、
そう思っていない人もたくさんいらっしゃるかもしれません。
でも、信じても信じなくても、実際にいらっしゃって、
私たちの人生を導いてくださっています。
大きくいえば、いままでの歴史は
神仏のみ心によって作られてきたといえますし、
小さく言えば、日々、私たちの生き方を正そうと努力なさっているのです。
私たちはそのことに気がつかず、
一人で生きているような、そんな気になっているのです。
これは一見、すごく傲慢な事なのです。
「同行二人」という言葉があります。
これは四国八八か所の寺院を巡るときに、浄衣に書かれている言葉です。
弘法大師様と一緒に歩いているということですが、もっと広く考えれば、
人生は常に仏さまと一緒に歩いているということになります。
苦労や苦難、あるいは病気などの不幸に遭(あ)ったときなど、
とても苦しい思いになります。別れの悲しみもあります。
そんなとき思うことは
「神も仏もないものだ。
神仏はいつも一緒に歩いてくださっているというけれど、
それは間違いだ。
ああ、なぜ、私がこんな辛い目に合わなくてはいけないのか」
と、思ってしまう時も多々あるでしょう。
しかし、苦しんでいる時には気がつかなくても、
その苦難を何とか乗り越えて、過去を静かに省みると、
なぜあの時、苦難を乗り越えられたかというと、
神仏が私を背負って歩いていたからこそ、そのときの苦難を乗り越えられたのです。
乗りこえたのは自分自身の力もあるでしょうし、
多くの人の支えもあったでしょう。
でもその奥に、見えない存在が確かにあって、
力を与えてくださっていたという真実があるのです。
それを心の眼でしっかり見極めると、神仏の思いが少し見えてくるでしょう。
神仏の思いを知れば知るほど、私たちは神仏へと近づいていくことになります。
その道を歩むことが、どれほどの幸せであるかを知っていましょう。