あの世があるかないかは「ある」か「ない」かのどちらかになります。
お坊さんでも、あの世があるかどうか分からないという人がいますが、
一般の方ならともかく、「分からない」というのは、宗教者でなく、
お坊さんをおやめになったほうがよいと思います。
あの世は確実にあり、信じる世界のことではありません。
テーマでは「あの世を信じる」と柔らかく表現していますが、
あの世は必ずあって、私たちが死んで後にいくところが確かにあるのです。
その世界の法則は、
まず、この世でどう生きたかによって、生き場所が決まるということです。
逝ってみないと分からないという人がいますが、
、どのような思いで暮らし、生きているかで、
死んで後、どんな世界へ行くかが分かるのです。
お釈迦様は
「善を積んで生きた人は善の世界へ行き、
悪を犯して反省もしない人は、死んで後、悪なる世界へいく」
と説いています。
その悪なる世界は地獄とも表現されています。
この善と悪ですが、
「この世の法律では悪を犯したことがなく、
警察にもやっかいになったことはないから大丈夫、
だから善の世界へいける」
と思いがちですが、そうではありません。
あの世に行くには、この世の法律ではなく、仏さまの法律があるのです。
「心の法則」と言ってもいいでしょう。
仏さまの法律では、
心の中で貪欲、怒り、不平不満、などに心乱されていると、
この世の法律では悪いことをしていなくても、
善なる世界へ昇っていくのは難しいということです。
お経の中にも
「欲しや惜しやで日を暮らし、憎くや可愛いで夜を明かす、
これが未来で罪となる」
と歌っています。
「欲しい欲しい。まだ足りない。やっと得た財産や幸せは、
惜しく惜しくて、人には分けてあげられない」
そんな思いを少なからずは誰しもが持っています。
もし、それが全面に出て一生を送れば、亡くなって後、その人は
「欲しい欲しいまだ足りない」という餓鬼の世界へいくのです。
こんな世界へ行ってはじめてあの世の世界を認めるようでは、
「後悔、先に立たず」です。あの世の視点を失わず、
今このときをどう生きるかが賢明な人の生き方なのです。