この時期はいつも苦難についてのお話が多くなります。
考えてみると、信州では2月に雪が積もり、
お寺の裏山の竹が雪の重みで倒れたり、
松の枝が雪の重みで折れそうな風景を見ているからでしょう。
竹には節があって、その節のゆえに、強く立っています。
湿りけの多い重い雪は竹にとっては難敵ですが、
普段の雨風には左右に揺れながら上手に立っています。
それを人の生き方に当てはめてみれば、その竹の節に当たるのが、
人生の中で苦難と闘い、乗り越えてきた所にあたるのではないかと思うのです。
苦難と闘い乗り越えた分、
人としての強さが培われ、ねばり強く人生を生きていけるのです。
その意味で、苦難は人としての節をつくってくれるものといえます。
さらに考え方をかえて、この苦難を見ると、
自分に弱点があるから、その弱点をねらって苦難が襲ってくると思えます。
たとえば、腕が細く重いものを持ち上げることのできない力しかなければ、
重いものを持つのには苦しみが伴います。
でも普段から腕を鍛えて重いものを持つ訓練をしていれば、
以前持ち上げられなかった重いものも、軽く持ち上げられることができ、
そこには苦しみはありません。
人生でも同じことがいえます。
苦しみは大概、心の弱さからきています。
苦しみを持ち上げられない弱き心ともいえます。
たとえば「欲しいけれども手に入らない苦しみ」があるとします。
その場合、「足るを知る」という考えを普段から持ち、心を養っていれば、
自分の過度な欲望を押さえられるので、「欲しい、欲しい」という
心の弱さからくる苦しみは少し減るでしょう。
ですから普段から、腕の筋肉を鍛えておくように、心を強く鍛えておくことです。
心の鍛え方は、正しい教え、考え方を、日頃から学んでおくことです。
そして苦難が来たとき、その正しい教え、考え方で戦うのです。
この意味で正しい教え、考え方は、ひとつの武器といってもいいでしょう。
そのように人はこの武器で戦いながら、苦難を乗り越え、人格を磨いていくのです。