禅にはたくさん教えの言葉があります。
その言葉はストレートに教えの意味を語るのでなく、
何かにたとえて、真理を伝えるという方法を取ることが多いといえます。
禅の最も大切にしている考えのひとつに仏性(ぶっしょう)という教えがあります。
仏性とは仏という字と、
もって生まれた気質の意味を表す性質という言葉の性(せい)という字を重ね、
性を「しょう」と読んで、仏性と著します。
仏の性質が私達の本来の姿であるということです。
古来から「自分とは何か」という問いが、投げかけられてきまましたが、
その答えが「私達は仏と同じ性質を持つ存在である」というのが禅の答え方です。
その禅の言葉の中に、
「風吹けども動(どう)ぜず、天辺(てんぺん)の月」
というものが出てきます。
動ぜずは、動かないという意味で、
天辺とは天の辺(ほとり)と書きますから、天の上と書いて、天上という意味です。
ですから、「強い風が吹いても、天上の月は微動もしない」となります。
実際に天の月は風が吹いても、びくともしません。穏やかに空を流れていきます。
この月が仏性にたとえられているのです。そして風は煩悩にたとえられています。
この「風吹けども動ぜず、天辺の月」という禅の言葉の中味を解けば
「私達の内にある仏と同じ素晴らしい心は、
怒りや不平不満などの煩悩には決して汚されず、左右されもしいものだ」
という意味になります。
まずは、そのような仏性が「私の心にのうちにある」と見極めることです。
発見することです。
そして発見したら、それを育て大きくしていくことです。
大きくしていくことによって、怒りや不平に左右されないものになっていくわけです。
私たちの心のうちにある仏性とは、別な言葉で言い表せば
「やさしさや思いやり」「穏やかな思いや、感謝の心」「勤勉な心や努力しようとする心」
などあげられます。
たとえば、私の心に「やさしい気持ち」があったとまず発見し、
発見したら、そのことを強く実感することです。
そしてその思いを、どんなときでも使えるように努力していく。
それが仏性を育てていることになります。
やがてその「やさしさ」は、
どんな怒りの風や不平の風が吹いても、汚されない力を持つようになるでしょう。