法話

泥中に花を咲かす 3 幸せの花を咲かせるために

先月は「思うようにならないゆえの、泥中」という章で、
何事も、自分の思うようにはいかなくて、なかにはつらい体験もあるけれど、
そこから大切なものを学び取って、自分の生きる糧にしていく。
そこに必ず尊い花が咲く。そんなお話でした。

一番言いたかったことを、最後の行に書きました。

我欲を捨てる

我欲とは他の人にかまわず、自分の幸せだけを求める欲望です。
ですから自分は幸せでも、相手が傷つき、不幸になったりしてしまう、そんな生き方です。
もっと欲しい、これでは足りないという思いです。

そこにはきれいな花は咲きにくいでしょう。
幸せになるためには、そんな我欲は捨てることです。

こんな投書がありました。81才の女性の書かれた投書です。
これを読んでマザー・テレサのことを思い出しました。
どの本にでていたのか、思い出せないのですが、こんなエピソードです。

マザー・テレサが托鉢したお米を、貧しい人の家に持っていきました。
それをいただいた女性が、その半分を隣の家に持っていったのです。

マザー・テレサは
「半分持っていったら、あなたの家の人の分が足りなくなってしまうんではないですか」

女性は「隣の家の人も、食べ物に困っているんです」と答え、
そのときマザー・テレサは、この人に愛を見たという。

そんな話だったと思います。
おそらく我欲の人はこれでは足りないと思うでしょう。

女性の投書を載せてみます。

あのおにぎりのおかげで助かった

私は1944年6月、旧満州(中国東北部)四平省で生まれました。
戦況が厳しくなり、母と姉と日本に戻ることになりました。

母はまだ乳飲み子の私を抱き、2歳の姉と船に乗りました。
栄養状態が悪く母乳が出なくなり、「ヒーヒー」と泣くだけの私を見て、
母は「死ぬかと思った」そうです。

そこで名の知らぬご婦人が、どのように手に入れたのでしょうか。
大切な食料なのに、真っ白なおにぎりをくださったそうです。
母はありがたくいただき、口の中でつぶしてから私の口に含ませました。

戦後、父も母も戦争について語ることはありませんでした。
どこの湾から出発してどこに着いたのか。
それも分かりません。

ですが、一度だけ、私が小学校に上がるころでしょうか。
母が「あのおにぎりのおかげで生きて日本に帰れた」と
涙をながしながら話してくれたのです。

今でも思い出すと涙がでてきます。

朝日新聞 鄭和7年6月21日付

おにぎりをわけてくれたご婦人も、食べるのに十分ではなかったでしょう。
それなのに、このご婦人は、母乳もでないで困っている人に、おにぎりをさしあげた。
それを思い出すと涙が出てくると書いています。

我欲を捨てると、相手の気持ちがわかり、困っている人に分け与えてあげる。
そんな尊い行為ができるのです。

そこに、きれいな花が咲いているのが分かります。

剣の山という話

杉本鉞子さんが書かれた『武士の娘』(筑摩書房)という本があります。
単行本で字が小さく、400ページ近くあるので、詳しいことは書きませんが、
この中に「剣の山」という絵本のことが書かれていました。

杉本鉞子さんは明治6年、新潟の長岡藩の家老の家に生まれ、
武士の娘として厳しいしつけを受けました。
やがて夫の仕事の関係で渡米し、ニューヨークに住み、雑誌に「武士の娘」を連載。
7カ国語に翻訳され好評を得た本だそうです。
英語で書かれていて翻訳したのが、大岩美代さんです。
杉本さんは昭和35年に亡くなられています。

「剣の山」の絵本は絵だけなので、
杉本さんが幼いころ祖母に読んでもらったことを思い出して書いています。
ここにまとめて載せてみます。

仏様が、亡き母をこいしたって嘆く愛弟子を見て、
仏力で、母の見えるところに連れていったのです。

大事な母がけわしい剣の山を、
痛々しい姿で登っていくのを見て、お弟子は驚き悲しみ、
「母はなぜこんな苦しみ多いところにいるのでしょうか」と
泣きながら言いました。

仏様は
「あなたの母はよこしまな思いを懐き、
 あなたがまだ幼い時に、母の思いはあなたの上にのみあったのです。
 ある日のこと、小さな野ねずみの遊ぶ様子を見て、
 その美しい尾をあなたの晴れ着の紐にしたいと願い、
 心の中で殺生を行なったからです」

〈注〉仏様はお釈迦様。お弟子は、おそらくお盆の起原になった目連ではないかと思います。

杉本鉞子さんは、この話を聞いて、こう書いています。
原文を載せます。

若い母の我が子に対する愛が、
とかく自己中心になりがちなものでございますので、
それを避け、やがては世界に向けてやさしく押しひろげてゆきたいものと、
心に決したのでありました。

母が子を守るのは愛ゆえですが、
その愛を自分の子だけに向けて、他の幸せを奪い取る、
そんな生き方ではなくて、他の人にもやさしさを広げていく。
そんな生き方をしたいと言っています。

この視点が尊く、自分も他の人も幸せになっていける方法といえます。

不自由の中にも花が咲く

どんな状況におかれても、それが泥中であっても、
幸せを見つける。そんな生きる強さが必要なときもあります。
小さな花でも、石の隙間から花を咲かせるのです。
そんな花が、お寺の山門の石畳の隙間から花を咲かせているのを見つけました。

身体の不自由な人で、私がいつも話題にあげている人が3人ほどいます。
この「法愛」でも何度かお話しした人たちです。
詳しいことは書きませんが、不自由を乗りこえ、
花を咲かせている生き方ではないかと思います。

ひとりは星野富弘さんです。
星野さんは2年ほど前に78歳で亡くなりました。
彼は中学の先生としてクラブ活動の指導中に、
頭部から転落して、手足の自由を失ったのです。
その後、口で絵を描き始めるのですが、大変な苦労をして、
詩人として画家として、活躍した人です。

彼の残した言葉はたくさんあるのですが、そのひとつを紹介します。

苦しくてどうしようもない時
いつも浮かんでくる言葉があった
神さまがいるんだもの
なんとかなるさ
そして いつも なんとかなった

次に金澤翔子さんです。
ダウン症の書家として知られています。
お母さんが金澤泰子さんです。

泰子さんは、
「この子がダウン症と聞いて、生涯で最も深くつらい絶望を味わった」
と日記に書いたのです。

その日から、32年余り経って、「世界一の幸せな母親になれた」と感謝しています。

また「障がいがあっても、子どもの力を信じて、
何でもやらせてほしい」とも言っています。

もうひとりは辻井伸行さんです。
ピアニストで、作曲家でもあります。
目が見えないのに、どうしてこんな曲が弾けるのかと驚くほどです。

お母さんはいつ子さんで、彼が目の見えないことを知ったとき、
涙がとまらなかったといいます。

でも
「彼がいなければ、何となく人生を送っていたかもしれない。
 彼がいてくれたおかげで、充実した人生になり、
 人生が広がったとしみじみ思う」
そう語っています。

みな困難を乗りこえ、幸せの花を手にしている生き方です。

自分を大切にして幸せの花を咲かせる

小さな幸せが、ひとつの花びらを作ります。
その花びらが一つひとつ増えていって、美しい花になっていくのです。
特に泥中のような苦労の中で咲いた幸せの花は、
さらに輝きを放っているかもしれません。

幸せの花を見つけるために、必要な考え方があります。
まず、自分を大切にすることです。
自分を大切に思わなければ、幸せの花を咲かせることはできません。
野に咲く花も、みな自分の力で花を咲かせています。
その花が、自分は嫌いだと思っていれば、花は咲かないでしょう。

自分を大切にすることで、自分が幸せになれる。自分の心が豊かになる。
人として恥じない生き方ができるということです。

そうでなくて、自分を駄目な人間だと思う。
自分は必要とされていない。自分は性格が悪い。
自分にはできない。そんな自分をいじめる考えは捨てることです。

こんな投書がありました。
お天道様に恥じない生き方をする、とこの投書に書いています。
73才の男性の方です。

お天道様に恥じない生き方を学んだ

かあさんは戦争でとうさんの実家に疎開し、そのまま農家の嫁に。
鍬を手にしたことがなく、さぞ大変だったでしょうね。

稲刈りの時期は、学校から帰ると着替えを済ませて田んぼへ。
鎌の使い方を教えてもらいながら稲刈りをしたり、
束ねた稲を稲架にかけたりと暗くなるまで働いたことを思い出します。
かあさんといっしょに働くのは楽しく、
かあさんの汗の匂いが大好きでした。

「いい子」の私が学校帰りに友だちと柿を盗んで、
悲しい思いをさせたことがありましたね。

かあさんが柿の木の持ち主に謝った後、
「忙しくてお前が何をやっているか、かあさんは分からないが、
 お天道様に恥ずかしいことをしていたなんて」と
悲しい顔で言った言葉が胸にグサッと刺さり、
二度とかあさんを悲しませてはならないと思いました。

かあさんから学んだ「お天道様に恥じない生き方をすること」を
大切に毎日過ごしています。
いつかそちらに行ったときには、
よく頑張ったねと頭をなでてください。

朝日新聞 平成30年4月21日付

お母さんへのお手紙のようですね。

おそらく小学校の時の苦い体験でしょう。
それ以来ずっと、お天道様に恥じない生き方を60年以上もしてきたことになります。
お母さんのいるそちらの世界でお母さんと再会し、
きっとよく頑張ったと頭をなでてくれることでしょう。

この生き方も、この男性がお天道様に恥じない生き方をして、自分を大切にし、
人生の花を咲かせた尊い生き方ではないかと思います。

身近で小さな些細なことでも、心をこめて

この投書で学ぶことは、柿を盗んだ体験から、
お天道様に恥じない生き方を学びました。
ここから人生には無意味なものはないと知ります。

さらにはお天道様は太陽にたとえられますが、
見えない存在があって、いつも見守っているということです。
無駄なものはない、見えない存在が見守っている。
この生き方も幸せの花を咲かせる考え方です。

多くの人が、泥中ではない平凡な日々を送っていることでしょう。
その中で大切な生き方は、身近で些細なことでも、大切にしていくことです。
この生き方が、一つひとつの幸せの花びらを作っていく方法です。

次の文章は、ある男性の方が亡くなられた時、
葬儀でお話ししたものです。

ここに山下太志(仮名)さんは、
数えで99年の生涯を閉じられました。

家族の方に聞きくと、6年ほど前に、あの世にいくことがあって、
あの世で3人の人が現れ「お前はまだ来るな」と言われ、
この世に戻ってきたといいます。

今回は3人の方のお許しが出て、
浄土の世に帰っていくことができます。

(中略)

こんな古歌があります。
「人のためつくす心がそのままに、
 わが身育てる力なりけり」

これは慈しみの心を持って、人のために家族のために尽くすその姿が、
自らを高めていく方法であるということです。

山下さんはどうだったのでしょう。
家族のみなさんが語ってくれました。

孫の私が小さい時、たくさん一緒に遊んでくれたり、
竹作りのおもちゃを作ってくれました。
私がプレゼントしたお財布を亡くなるまでずっと大切にしてくれました。
バイクでいろんなところに連れて行ってくれました。
学校から帰ってくると両親が働きにでていて一人になってしまうので、
おにぎりを作り、書置きもしてくれて嬉しかった。
人が喜ぶことが大好きで、いろんなことをしてくれました。
私の作った料理を「うまい!」と言って食べてくれました。
いつもニコニコうなずいてくれました。
怒ったところを見たことがありません。
いままでほんとうにありがとう。

生前生きてこられたような、慈しみ深い浄土の世界に帰って、
そこで幸せに暮らしていただけるよう念じて、お別れの拝礼を致します。

身近で小さなことでも、心をこめて接していく様子が分かります。

いつも泥中のような日々ではありませんが、
自分自身を大切にして幸せになり、その幸せの花を近くの人に分けてあげる。
そこに、さらに自らが高まっていきます。

その花を、神仏がほほえんで見てくださっています。

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