法話

泥中に花を咲かす 2 思うようにならないゆえの、泥中

先月は「この世は泥中、そして心も」という章で、
四季の美しさに反して、自然の恐ろしさをお話しし、
またきれいな心の持ち主もいれば、不満や怒りで心を汚す、そんな人もいる。
そんな中で、どう生きたらよいのかを考えてみました。続きです。

ツバメのこと

十数年ぶりに、ツバメがいつもの軒下に巣を作り始めました。

以前そこにツバメが巣を作っていて、
母がまだ健在のころ、大きな声で叫んでいるのです。
「ヘビがきた!」って。
私が駆け付けたのですが、間に合わず、
ツバメの子はヘビに食べられてしまいました。
こんな小さな出来事でも、自分の思うようにはなりません。

今回のツバメもおそらくヘビに食べられてしまうと思って、
ツバメに「そこに巣をつくっちゃだめだ」と語りかけても、
その言葉はツバメには通じません。

心配して見守っていると、卵からかえったヒナたちが、
日に日に大きくなっていきます。でも、ヘビはやってきません。

どうしてだろうと思って軒下を見ると、
大きな太い丸い電線を通した、ヘビによく似たパイプが、
軒全体につるしてあるのです。

そのパイプは、お寺の入り口に
坂村真民さんが書いた「念ずれば花ひらく」という塔を立てたとき、
その塔の上に常夜灯を作って、電気屋さんが目立たないようにと、
屋根の軒下に、庫裏から電気の線を引いたものでした。

どうも、これがヘビに似ていて、来ないのだろうと、
勝手に推測しているのですが、無事、ツバメたちは巣立っていきました。

自然の事ごとは、何事につけても、自分の思うようにはなりません。
生前母が畑を作っていて、晴れが続くと、「雨がふらないかな」とつぶやき、
雨が続くと、「晴れてくれないかな」と、野菜のことを心配していたのを思い出します。

お話も、思うようにはいかない

お坊さんの中には、話をしないお坊さんもいれば、話をするお坊さんもいます。
話をしないお坊さんは、檀家さんから、「話をしてください」と言われ、
私は話をするので、「和尚さん、そんなに話をしなくていい」と(笑い)
言われることもあって、思うようにはいきません。

この演題のお話は平成30年に作ったもので、
USBに入れておいたこのお話を聞きながら、文章にしています。
でも、拙い話なので、そのまま文章にはできないのです。
できれば、話しているそのままを文章にできれば、
こんな楽なことはないのですが、思うようにはいかないものです。

法話をしても、いままで満足にいくお話をしたということはありません。
でも、次のようなお手紙をいただくと、それでも、何かお役にたっているのかなと、
小さな花ですが、泥中に花が咲いている。そんな気がします。

檀家さんではないのですが、ある男性の方で、
このお話(平成30年)をしていた7月20日にいただいたものです。

毎月、法愛を送っていただいてありがとうございます。

伊南のセレモニーホールで初めて法愛を手に取ってから、
2年余りになります。その間、20冊余りの法愛を拝読していますが、
今月号の「数えてみる」の詩は、心にしみ込みました。

まるで自分のことを言われているようで、
何度も読み返しています。(後略)

今月号の「数えてみる」ってどんな詩だったかと思い、
読み返してみました。ここに載せてみます。

数えてみる

人は
欲深くなると
自分の足りないところ
ばかりを
数えてしまう

相手の
恵まれている
そんなところばかりに
目がいってしまう

もっともっと欲しい
そんな思いが
実は自分の心を
醜くしていることに
気づかない

ほんとうは
もう充分に与えられている
そんなことごとを
静かにふり返り
数えてみる

感謝の涙が
欲深なわたしを
洗い流していく

やさしさが
心にいっぱい広がっていく

ときどき、こんな詩が書けるのです。

大変な仕事のなかにも花が

以前、テーブルの上に何やら剣のようなものが置いてあったので、
興味があって、握ってみました。
それがとても熱く、手に火傷をしてしまったのです。

後で聞くと、髪を整えるヘアアイロンで、娘が使ったばかりであったのです。
私は50年以上も髪がないので、髪に関するものには知識がなく、
それがヘアアイロンとは知らず、持ちやすいところを握ったのです。

握った方の手を、すぐ水で冷やしたのですが、
手に水泡のようなものがでてきて、
これはお医者さんにいった方がよいと思い、近くの河野医院に行きました。
先生に事情を話し、看護師さんに処置をしていただきました。

薬をぬってくれ、包帯を丁寧にまいてくれました。
そのとき私が「看護師さんは、いつも大変な仕事ですね」というと
「和尚さんこそ」というのです。

「どうしてですか」と聞くと、
「先日、親戚の人が亡くなって、
 お通夜に参列させていただいたんです。
 そこに和尚さんが来られて、みんなが悲しみの中で、
 お話をしてくれて、大変な仕事だなあって」

そのとき、こんなふうに感じている人もいるんだと、ありがたくなり、
私も少しは役立つ仕事をしているのかもしれないと思ったのです。

どんな仕事も、つらく大変なときもありますが、
人のお役に立っていると思うと、そこにきれいな花が咲くのです。

家族の中でも

家族の中でのことも、思うようにいかないことがたくさんあります。
妻が夫や子を、あるいは夫が妻や子を思うようにできれば、
こんな楽なことはありません。嫁と姑、舅や嫁の関係もこじれやすいものです。

こんな言葉がありました。

十人の子を養う親がいる。
一人の親を養えない十人の子がある。

どなたが語ったのか分かりませんが、
今では子を養えない、そんな親もいるようです。

毎月読んでいる『婦人公論』の中に、
「義理の家族は悩ましい」という特集がありました。そこに、

老いた姑への気遣いや、介護、
相続をめぐる義理のきょうだいとのモメごと。
子どもが結婚すれば嫁や、婿ができ、
その実家との盆暮れのやりとりも……。

夏の帰省シーズンに入り、
親戚と顔を合わせる機会も増えるこの頃、
互いが負担にならないようなつき合い方を探ります。

『婦人公論』平成29年7月25日

とあります。そして「我が一族の困ったちゃん」というテーマのところに、
8人の方の困ったことが載っていました。3人挙げてみます。

まず、舅のこと。

娘を出産した時、舅は一目見るなり
「目は見えているようだ、バカじゃなさそうだ」と大声で言った。
そして産後1週間居座って、私の料理に文句をつけ続け、
最後に「次は男の子でお願いします」と言い残して去っていった。

47歳 翻訳業 『婦人公論』平成29年7月25日

姑はどうでしょう。

旦那が浮気して悩んでいたら、姑から
「そんなの虫に刺されたと思って早く忘れな!」と言われた。
しかし自身は亡くなった舅の50年前の浮気をことあるごとにネチネチ話す。

51歳 会社員 『婦人公論』平成29年7月25日

もうひとり、

私は早く両親を亡くしたので、若い頃は義理の両親と喧嘩するたびに、
姑に「教育がなっていないのは親がいないからだ」と言われた。
なのに今、姑を介護しているのは私。おかしな話だと思う。

64歳 スーパー勤務 『婦人公論』平成29年7月25日

家族の人間関係も複雑で、そこに相手を思いやる心が欠けると、
泥中のような関係になって、幸せが見えにくくなっていきます。

この場合、不即不離という、つかず離れずの関係を保ちながら、
互いが慈しみの思いを忘れないでいることです。

つらい体験から学ぶ

老いは必ずやってきて、やがて死を迎えます。
死を受け取る時に、悔いのない人生と、
さらには、家族のみんなに涙をいただいてのお別れが大事になります。
でも、そんなに簡単にはいかないものです。

医師である柏木哲夫さんの書いた本の中に、こんな話が載っていました。
そこにはたくさんの事例が載っているのですが、
その中に、心の準備なしに、死に直面した10歳の女の子について書かれていました。

39歳のお母さんが、子宮がんの末期で、痛みと不正出血のために、
淀川キリスト病院のホスピス長をしている柏木先生のところに入院しました。

お母さんには10歳の女の子と、4歳の男の子がいました。
女の子は、お母さんが遠からず、死を迎えることを知らないでいます。
看護師さんがそれを伝えたほうがいいと思っていたのですが、
父親は伝えることに強く反対していました。
私立の中学を目指して塾通いをしている長女に
ショックを与えたくないというのです。

お母さんは知らせたほうがいいのではないかと思っていたのですが、
自分からは言えない。言うのであれば父親からと思うのですが、
父親が反対しているので、知らせるのは難しいと思っていました。

柏木先生はこの家族に語ります。

「心の準備なしに母親の死に直面することはこの子にとって、
 あまりにも酷であると思います。
 死を告げることはつらいし、それを知ることもつらいけれど、
 そのつらさよりも、心の準備なしに死を迎えることの方が
 ずっとつらく、大変だと思う。

 これまで私が経験した、
 前もって親の死を知らされないで親の死を迎えた子どもさんで、
 その後、精神的不安定になった例がたくさんあるのです。

 お父さんが告げにくいのであれば、
 私が知らせてあげてもいいのですが」

しかし、それでも両親も叔母も、知らせるのには反対したのです。

この話し合いの1週間目の昼下がり、お母さんは急変し、
家族のみんなに知らせて、みんな揃った1時間後、亡くなったのです。

長女は「お母さん、お母さん」と大声で叫びながら
お母さんに取りすがって泣き出し、なかなか泣きやまなかったのです。
その後、彼女は3ヵ月の間、部屋にこもり、1年間、学校を休学しました。
後日、彼女のスクールカンセラーをしていた女性から、
彼女のことを知らされました。

そこには、母の死を知っていれば、毎日でも見舞いに行ったのに、
それができなくて悔やまれ、別れの悲しみから立ち直れませんでした。
父を恨みました。学校へ行く気もしませんでした。
母が死ぬことを知っていれば、私なりに心の準備ができたのです。

今は大学の心理学で学び、スクールカウンセラーとして働いています。
親が死を迎えるとき、子どもと一緒に心の準備をすることが、
大切だと思っています。

柏木哲夫『「死にざま」こそ人生』 朝日新書

要約すれば、こんなお話でした。

母の死を知らずにいたこの女の子の悲しみはどれほどだったでしょう。

人生は自分の思うようにはいきませんが、
そこから多くを学び取ることが、やがて、
その体験から花を咲かせることにつながっていくのではないかと思います。

(つづく)

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