法話

泥中に花を咲かす 1 この世は泥中、そして心も

今月から「泥中に花を咲かす」という演題で
お話を致します。

このお話は平成30年7月27日、護国寺を会場にして、
上伊那の婦人会の集いでお話ししたものです。
120名ほどの参加者で、楽しいひと時を過ごしました。

すでに8年ほど経っていて、資料が古いところもありますが、
少し書き換えながらお話をします。

演題の意味として

泥中とは泥の中ということです。
そんな泥中がこの世や自分の心にあるとは信じられないことかもしれません。

特に日本は四季の巡りが美しく、
四季それぞれに咲く花たち、鳥たちの声、芽吹きや紅葉の美しさ。
そんな自然を見ていると、
この世が泥の中などとは思いもしません。

人間社会を見つめてみるとどうでしょう。
美しいものばかりでなく、犯罪や詐欺、いじめや自殺、
生活苦や孤独死など、社会不安もたくさんあって、
これらのことを考えてみても、苦難を感じ、生きにくいと思う。
そんな日々もあります。

自分自身の心を見つめてみると、
いつも清らかでいられるのは少なく、制し難い煩悩に翻弄され、
迷いの多い日々を送っている人もいるかもしれません。

この泥水の特徴は、清い水に比べて透明度がなく、
その泥水の中では、視界が悪く、見えにくいのです。

同じように、どう生きたら幸せになれるのかが見えにくいのも、
この世の中かもしれません。

でも、泥ゆえに、たくさんの栄養素が含まれていて、
泥の中から蓮の花がきれいに咲くように、
苦難や困難な世であっても、さまざまなことを体験でき、
学び、人として成長できる。
そんな世であるというとらえ方もできます。

このように考えてくると、
「泥中に花を咲かす」という演題の結論は、
この世の苦難や苦労の中でも、幸せを見つめてほほえんでいる。
そのほほえみが花に見える。

そんな生き方をしてみましょう、ということです。

感謝して、苦をプラスに変える

文藝春秋という雑誌に、橋田寿賀子さんのことが載っていました。
橋田さんは脚本家であり劇作家でもあった人です。
NHK連続テレビ小説の「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」などが有名です。
「おしん」の最高視聴率は62.9%であったようです。

ある施設で、この「おしん」を放映している時、
施設で過ごしている人たちが、そのテレビを見るのが待ち遠しくて、
もう亡くなられそうな人が元気になった。

もしこの「おしん」が終わりになったら、亡くなる人が続出するかもしれないと
スタッフの人たちが冗談で言っていた。

実際「おしん」が終わると次々に亡くなっていったという。

そんな話をどこかで読んだことがあります。

心に楽しみや生きたいという思いを持っていると、
元気になれるのです。

さて、この雑誌は平成30年4月発行のものですから、すでに8年ほど経っています。
橋田さんは令和3年に95才で亡くなっているのですが、
当時は92才でまだお元気でした。

この文藝春秋の大型企画で、
「先だった伴侶にいま伝えたい感謝のことば『亡き妻へ亡き夫へ』」
という企画で13人の方が書いていました。
その中のひとりに橋田さんがいたのです。

橋田さんのこの企画の題は
「あなたのおかげで『渡鬼』が書けたのです。」

橋田さんが41才の時、岩崎嘉一さんという方と
結婚します。
岩崎さんはアメリカのドラマ「奥様は魔女」を
買い付けてヒットさせた人です。

結婚を思い立った理由が、
脚本家として才能に限界を感じ、サラリーマンの月給袋に憧れて
という、不純な動機からだったそうです。

でも、そのおかげで、テレビ局と喧嘩できたというのです。
主人のお給料があるから、嫌な脚本や無理な注文は受けなくてすんだのです。
そうやって書きたいように書いた結婚後のほうが、
高い評価をいただいたと言っています。

主人は
「脚本家と結婚したのではないので、俺の前で仕事はしないこと」
という条件を出し、
「結婚してもらった」という思いが強かったので、そうしたようです。
そんな条件のもとでも、高い評価を受ける作品を書けて、
主人にはほんとうに感謝していますと。

自由に書けなかったのに、その苦にまけず、
いいところを見て、それを感謝に変えてしまうところに、
生きにくい世を渡っていく秘訣があるような気もします。

もうひとつの感謝

橋田さんは母と2人の家族だったそうで、
大家族や嫁姑の問題を知らなかったといいます。

主人の実家へ帰郷した際、台所に行って
「お母さん、手伝いましょうか」と殊勝な素振りを見せると
「いいよ、あんたはゆっくりしなさい」と言われ、その通りにしていたら、
姑が陰で義妹に「寿賀子さんは、なにもしにゃあだね」と。

橋田さんはそのことを義妹から聞いて、
「なるほど、そういうものか」と勉強になり、
「おしん」も「渡る世間は鬼ばかり」も、
結婚していなければ書けなかったと、感謝しています。

「この世は泥中」というのを、言葉をかえれば
「渡る世間は鬼ばかり」となるかもしれません。

橋田さんはそんな体験の中から、
いい作品という花を咲かせたともいえます。

苦への不満ではなくて、
その中から、仕事や生き方に役立つものを得て感謝する。
そこに美しい花が咲き出すのです。

四季の美しさ

新潟にいた時、
日本海のすぐ近くに大学の寮があって、
その寮に住んでいたのですが、
そこから歩いて数分で海岸にでることができました。

私は長野県生まれなので、
不動の山々を見ることができましたが、
海を見ることはできませんでした。
ですから、海を見るのが楽しみで、
よく海岸に出ては海を眺めていました。

特に太陽が沈む時、海に黄金の道が出来て、
その美しさに感動し、その道を歩きたいという衝動にかられました。

また、そんな美しい情景を見ようと、海岸線にずらりと車が並び、
その車の中で男女が海を一緒に見つめている。
そんな光景も、独りの青年にとって、詩の世界に入り込む静かな時間でもありました。

日本は四季の巡りが美しく、
多くの人が、その情景を詩にしたり、
短歌や俳句、あるいは絵にしてきました。

私の持っている『日本古典文学全集』(小学館)の中に「古今和歌集」があります。

つれづれに和歌集をぱらぱらめくっていると、
こんな短歌を見つけました。

梅が香を袖に移してとどめてば
春はすぐともかたみならまし

読み人知らず

小沢正夫・松田成穂 校注・訳『新編 日本古典文学全集11・古今和歌集』小学館

この訳は、
「あたり一面に漂っている梅の香りを、
 袖に移していつまでも残せるものならば、
 たとえ春が過ぎ去ってしまおうとも、
 思い出の種になってくれようものを」
です。

梅は香りで、桜は花を詠った歌が多いのですが、
その梅の香りを袖に移して持っていくという発想が、とても詩的です。

もうひとつ挙げてみます。

吹く風の色のちくさに見えつるは
秋の木の葉の散ればなりけり

読み人知らず

小沢正夫・松田成穂 校注・訳『新編 日本古典文学全集11・古今和歌集』小学館

訳は
「さっと吹いてきた風がさまざまに見えたのが、
 それは秋の落葉が風の中で舞っているからだったよ」
です。

訳すと何故か、歌の美しさは損なわれるような気もします。

風には色がありませんが、
秋の落葉の色が風に、色をつけているように見える。
この発想が素晴らしいと思います。
読み人知らずですから、無名の人の歌です。

このように、自然は美しい。
その美しさを見て、汚れた心が洗われ、心を癒すのです。
大自然がくださる、学びのひとつです。

自然の恐ろしさ

自然は美しさばかりではありません。
恐ろしい面もたくさんあります。

このお話をしたのは平成30年7月27日です。
この年、6月28日から7月8日にかけて、台風7号と梅雨前線の影響で、
西日本豪雨と名づけられた大災害が起きました。
亡くなった方が263人。行方不明者が8人。負傷者が484人。
特に広島市では114人の尊い命が失われています。

本当なのか分かりませんが、
レスキュー隊の格好をした泥棒が空き巣をねらって物を盗み、
すでに入った家にはドアノブにタオルをかけ目印にしたということがありました。

また、7月16日から22日にかけて、熱中症で病院に搬送された人が22,647人いて、
亡くなった人が65人と報告されています。

自然が美しさを裏に押し込め、
豪雨や太陽の熱に、人びとの生活が脅かされる。

この世は、美しいものばかりではありません。
昔の人は、このような災害を、人心の乱れからくると信じていました。
今では、そういう人は少なくなりました。

話からそれますが、
台風などで川が氾濫しているとき、
そこに行ってはいけないとよく言われることです。
それでも出かけて行って、川に飲み込まれて帰らぬ人になってしまう人もいます。

どうも氾濫している川の中には、
川に誘い込む、得たいの知れない何かがいるようです。

私も実際に体験し、
川の濁流に引っ張られ、川に飛び込み、
気がついた時には、ある方の家の布団の中。
近くにいたおじさんが助けてくれたようです。

そこであの世にいっていたら、この「法愛」は存在しませんでした。

きれいな心の持ち主

自然の美しさと恐さを書きましたが、
人も、透明感があるきれいな心と
そうでない濁った心が、入り混じってしまうときがあります。

次の投書を読んでみてください。
51才の女性が書かれたものです。

水にもペーパーにも感謝する女性

ホテル勤務から介護職へ転職して、はや10年を超えた。
現在は病院に勤めている。

患者さまからの「ありがとう」の言葉は日々の仕事の励みになっている。

過日、90代の女性の排せつ介助でトイレに同行した。
ズボンの上げ下げを手伝い「ありがとう」とお礼をいただいた。

その後、手洗い場で手を洗うと女性は水に一礼した。
ペーパータオルで手をふく時にも、
ゴミ箱にペーパーを捨てる時にも
この振る舞いを繰り返すことに気付いた。

聞けば
「あなた方にもお世話になるけれど、
 水やペーパーにも恩恵を受けているから」
とのことだった。

私は人に感謝の気持ちは表しても物へは表していなかった。
それから女性にあやかりトイレでは
「水様、ペーパー様、トイレ様、ありがとうございます」
と心の中でつぶやいている。

日常の品々、例えば家電やスマホにも感謝し、
おかげで水や電気を無駄に使わなくなった。

女性との出会いに感謝している。

毎日新聞 令和7年5月7日付

90代の女性が、水に一礼し、ペーパータオルに一礼し、ゴミ箱にも一礼する。
このように、物にも一礼して感謝する。
人にもこんな美しい振る舞いをする人もいるのです。

最近お話しした法話会の中で、物を大切に扱う姿に、
きれいな花が咲いているように見えるという、そんな話をしたことがありました。

50才の男性が娘さんのことを書いていたのですが、
その娘さんが幼稚園の卒園式で、通園バスのヘッドライトをなで
「ありがとう。これからも安全運転でお願いします」と小さな声で言っていたこと。
それが忘れられないという。

また、公園の滑り台の支柱に頭をぶつけたときには、
涙を浮かべ、「痛くてごめんね」と支柱に謝ったという。

今は娘さんも大きくなって、
「あの頃の娘を思い出すと、私たち大人が忘れてしまった気持ちを、
 ふと取り戻したような気がする」と。
バスのヘッドライトに優しく語ったり、
滑り台の支柱に頭をぶつけて、涙を浮かべて支柱に謝っている娘さんの心は、
純粋でとてもきれいです

でも、この世のさまざまな出来事を体験し、不満を持ったり、
思うようにならなくていらいらしたり、怒ったり、憎んだり、
悪口を言ったりして心を乱していくと、純粋な思いが失われていくのです。

どう生きたらいいのか

泥水は透明感がなく、濁っていて、よく見えません。
私たちもこの世のさまざまな出来事に翻弄されて、
どう生きたら幸せになれるかが見えなくなっていくのです。
そして、心の中が「善と悪」でごちゃまぜになって、心を少しずつ汚していきます。

たとえば、相手が何を思っているか分からないから信用できない。
相手が自分の思うように動いてくれない。
私がこんなにしているのに、ありがとうの感謝がない。
私の気持ちをちっともわかってくれない。
私のほうが正しいと思っているのに、相手は違うと言って怒る。

そうではなくて、相手の気持ちを分かってあげようとする。
相手を信じてあげる。
こちらからさせていただいて、見返りを求めない。
相手のほうがもしかしたら正しいのかもしれない。

そう自問自答し、どちらが善でどちらが悪なのかを選り分けて、
心の濁りを取っていくのです。

(つづく)

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