先月は「人生の意味を知る」ということで、その意味を知るために、3つほど挙げてみました。
ひとつが、どんな仕事をしたいかという夢から知ること、
ふたつ目が人生の問題に出合った時、そしてみっつ目に人生への疑問が出た時でした。
この3点が、人生の意味を知るよい機会になるということでした。続きです。
修行の場として
この世は修行の場であると、よく言われることです。
20代には20代の修行の課題があり、
60代には60代で初めて出合う人生の問題があります。
ある新聞(朝日平成28年11月24日付)に
「ダウン症の人『毎日幸せ』9割超」という見出しで、
ダウン症に関する記事が載っていました。
考えによれば、本人も家族の人も、
人生の修行の場として、厳しい試練ではないかと思います。
現在では「新型出生前診断」で、産む前に胎児の染色体異常を調べ、
産まれて来る子がダウン症であることが分かるようになりました。
実際に、導入から3年で、染色体異常が確定した417人の内、94%が中絶したといいます。
しかし、この新聞の「ダウン症の人、毎日が幸せ9割」という見出しを見ただけで、
驚かざるを得なかったというのが、正直な感想でした。
厚生労働省の研究班による当事者への初の意識調査が行われました。
平成27年10月から12月、日本ダウン症協会の協力を得て、
5025世帯にアンケートを送付したのです。
12歳以上の852人(平均年齢22.9歳)が回答しました。働いている人が、約6割でした。
「毎日幸せに思うことが多い」との質問に、
「はい」が71%、「ほとんどそう」が20%でした。
「友達をすぐ作ることができるか」との質問に、74%が肯定的に回答したのです。
東京都に住むダウン症の女性(33)は、
2001年から、都内のパン屋で契約社員として働き、月給は10万円だそうです。
女性のお母さんは、自分の子がダウン症の告知を受けた時、
「障害児なんていらない」との思いがよぎったといいます。
担当医の先生から「ゆっくりだが、普通に成長できる」との言葉をいただいて、
前向きに考えられるようになったといいます。
そして、
「この子のおかげで、私の人生に厚みや幅ができ、
わが子がダウン症だったことは、私にとってプラスになりました」
と、新聞には書かれていました。
いつだったか、テレビで「家、ついて行ってイイですか?」という番組を見ていたら、
その家にダウン症の女の子がいて、家族みんなで、その子を大事にしていて、
お母さんが「この子のおかげで、家族がまとまり、夫もやさしくなった」と語っていました。
修行の場としては厳しいかもしれませんが、
この家族の様子を見ていて、人として何か尊いものを感じ、
人生の美しい風景を見たような気がしました。
風神、雷神を書く
ダウン症で思い出すのが、金澤翔子(かなざわしょうこ)さんです。
平成26年に出された「別冊太陽」(平凡社)という冊子に、
「金澤翔子の世界」とあって、特集が組まれていていました。
金澤さんは平成29年1月5日に伊那に来て、「平和の祈り」という字を書かれたのです。
私もその場にいて、お母さんに助けられながら、この字を書く翔子さんを見ました。
その時の想い出として、この「別冊太陽」の冊子を買ってきたのです。
この冊子に、こんなエピソードが書かれていました。
京都の臨済宗で、建仁寺というお寺に、
俵屋宗達が描いた、風神雷神図屏風があります。
右と左に風神と雷神が描かれている屏風です。
翔子さんが2009年の時、鎌倉の建長寺で個展を開き、風神と雷神の字を書いたのです。
その時は、俵屋宗達の風神雷神の絵は見ていなかったのです。
見ていないにも関わらず、その字を、俵屋宗達の風神雷神の配置と同じところに書いたのです。
「雷来てください。風吹いてください」と念じて書いたそうです。
偶然と言えばそうなのかもしれませんが、何か導かれて書いたと思わずにはいられません。
そんな不思議な力を持った天才書家の翔子さんです。
至福の境地に至る
この冊子の「いのち」という書のところに、次のような文章が載っていました。
翔子さんのお母さんの言葉です。載せてみます。
「お母様が好きだからお母様のところに生まれてきたの」
翔子が寄り添ってきて私の耳元で秘密でも打ち明けるように囁いた。
私は「はっ」とした。翔子の言葉は深い意味で正しいことが多い。
言語障がいゆえに言葉の少ない翔子の言うことは、いつだって真言である。母親を選んで生まれて来るという古からの噂は本当なのかもしれないと
その時初めて命の仕組みを垣間見た気がした。きっと私も生まれて来る子がダウン症であることを同意して、
二人の合意のもとに私たちは親子としてこの世で結ばれたのでしょう。今、私はダウン症の翔子を授かって本当に幸せだと思う。
苦しくダウン症の告知を受け、オロオロと悲嘆に暮れて彷徨い、
この至福の境地に至るまでには二十余年を必要とした。
こんな文章です。
この世は修行の場であると言われますが、
よくこの苦難を乗りこえ、至福というこの上ない幸せに至った生き方は、
学ぶべきものがあります。
翔子さんのお母さんが、人生の意味を知ったということです。
そして、苦難を至福にしてしまう原点は、やはり
「生まれて来る前に、合意のもと、共に生まれてきた」
と、気づいたところにあると思われます。
そちらの修行が終わってから来なさい
臨死体験をした女性が、観音様のような方に
「そちらの修行が終わってから来なさい」と言われ、この世に戻ってきたという投書を、
平成29年3月号の「法愛」に載せてみました。
そちらの修行というのは、この世が修行の場であるということです。
「『あの世』を信じて幸せそうな母」という題で、48歳の女性の投書です。
「あの世」を信じて幸せそうな母
私の祖母は、明治40年代に生まれた。
そして明治、大正、昭和、平成と駆け抜けてきた。祖母から聞かされた話で印象深いのは、
第二次大戦中、33歳の祖母がお寺に疎開したときのことだ。
冬の本堂で寒さが耐えがたく、肺炎を患い、臨死体験をしたという。暑く寒くもない春のお花畑にいて、最高の安らぎと幸福感に満たされたそうだ。
ずっといたかったけれど、「そちらの修行が終わってから来なさい」と
観音様らしき方に言われ、戻ってきた。その方は「私たちが見守っていることを忘れず正直に生きなさい」ともおっしゃったという。
祖母は92歳まで生きた。
あの世の存在を確信していた祖母。
お棺の中で頬を桜色に染め、楽しい夢でもみているようにほほ笑んでいた。
お花畑に戻って幸福なんだと、私は思った。(産経新聞 平成23年9月5日付)
こんな投書です。
臨死体験は脳の作用で、本当ではないという、そんな人もいますが、
私は、この女性が書かれた投書を「ほんとうにそうだ」と信じています。
あの世に行って観音様のような方が「そちらの修行が終わってから来なさい」と言った。
こんな臨死体験をした人が多いのです。
そして「私たちが見守っていることを忘れず、正直に生きなさい」とも言っています。
「正直に生きなさい」というのは、当たり前のことのようですが、
これがとても大事な生き方なのです。正直に生きることで、
人生の美しい風景を、より多く見ることができると思います。
人生の意味の答えのひとつが、「正直に生きる」こと。そうとらえてもいいと思います。
沢庵の教え
この演題の第1回目に、
「人生の意味を知るためには、この世限りでは答えが出ない」
と書きました。
そこで、亡くなった時の様子を沢庵という和尚から学んでみます。
沢庵は江戸初期の臨済宗の和尚です。
「たくあん」という漬物を、最初に作ったのがこの沢庵和尚であるとも言われています。
沢庵の書に『玲瓏集』(れいろうしゅう)があります。
その中に中有(ちゅうう)という聞きなれない言葉が出てきます。
私たちは亡くなると、まず中有に行くのです。
その期間が約49日間あって、そこで死を受け取り、
どの世界に行くかが決められます。
中有の後の世界を後有(こうう)といいます。未来世に生まれ変わるということです。
この『玲瓏集』(タチバナ教養文庫)に書かれている内容を少しまとめてみます。
- 人は亡くなると中有(ちゅうう)に生まれる。
中有にも身体があって、その身体は肉体ではなく、幽(かす)かで、人間の目には見えない。
しかし、亡くなってとらわれの強い人は、人間の目に見えることがある。
これを幽霊ともいう。- また、死んだ人は、今まで生きていたように、この世で生きている人を見ることができるが、生きている人は、死んだ人が見えないし、これに気づかない。
- その身体(現代では心とか霊と表現できる・筆者書く)は、戸や障子が閉めてあっても、自由にそこを通り抜けることができる。身体といっても形がなく、影のような存在だ。
- その身体は意識として、肉体の五官と同じように、見たり考えたりすることができる。
だから現世の世で生きているのと変わりはない。- 中有を出ると、後有(こうう)としての未来世に生まれ変わる。
- このことは、一般人にはなかなか理解できない。
こんなふうにまとめることができます。
一般の人には理解できないとありますが、
私自身、このことが、ほんとうによく分かるのです。
実際、死んだ人の姿(霊)を感じとることができます。
この『玲瓏集』を訳した池田諭(さとし)氏の訳を少し載せてみましょう。
本当に死んでしまえば、もう自分の肉体を離れてしまうので、
縄から離された猫のように、どこにでも行きたい所へ行けます。
夢の中の意志と同じように、自由に行きたい所へ行くのです。たとえ深い闇のなかでも、戸や障子を閉めたなかでも、自由に入っていけます。
これは形がないからです。形あることはあるのですが、肉体ではないので、
水に映る影か、灯火や月などでできる影のようなものですから、
何ものに阻まれるということはありません。
1990年に公開された「ゴースト ニューヨークの幻」という映画がありましたが、
その映画を見ると、この文章と同じようで、真実に近いものを感じます。