どんな思いでするのか
毎日、本堂の前の庭の掃除をします。
そのとき、どんな思いで掃除をするかが問題になるのです。
こんな言葉があります。
「この世に雑用などない。雑用にしているのは、その人の心にある。
用を雑にしたとき、雑用が生まれる」
もし、掃除をいやいやしていたり、こんなくだらない掃除は早く済ませてしまおう。
そんな思いで掃除をしたとき、その掃除は雑用になってしまいます。
仏様が降りてこられるように、庭をきれいにして、この仕事を大事にしよう。
そんな思いで掃除をしていれば、同じ掃除でも大きな違いが、そこに出てきます。
草を取るにも、玄関を掃除するにも、
タオルを洗うにも、使った食器を洗うにも、
トイレを掃除するにも、机の上を片づけるにも、
相手と接するときにも、ありがとうの言葉を使うときにも、
どんな思いでそれをするのかで、大きな違いがでてきます。
思いは目に見えませんが、大切な思いでそれらのことをすれば、
そこに必ず清らかな香りが放たれていきます。
もし、こんな事を私がする必要はないとか、
こんなくだらない仕事は私には合わないとか、
どうして私がしなくてはならないのとか、
そんな思いで仕事をしていれば、そこに悪臭が放たれていくのです。
思いを変える
ノートルダム清心学園の教授をへて、学長、理事長になられた渡辺和子さんが、
たくさんの本を出されています。
もう亡くなられましたが、
その本の中に「『ひと』として大切なこと」(PHP文庫)があります。
その中に出てくるひとつのエピソードから、学んでみます。
同じ境遇でも思いを変えれば、強く生きていける、そんなお話です。
渡辺さんが大学の教授をしていたころだと思います。
小さいときに関節炎を患って、片方の足の悪い女性がいました。
大学にいるときには、笑顔の絶えない人でした。渡辺さんは、もし自分が松葉杖をついて、
いつも片足をひきずって歩かなくてはいけないときに、
あの人のような美しい笑顔ができるだろうか、と感心していたと書いています。それが、その人が大学を卒業されて勤めを始めて、
初めて世間の冷たい風を受けたのです。大学内では、みんなが優しく接してくれ、
まるで足が悪くないような4年間を過ごしたのです。
でも外では邪魔もの扱いにされ、
足が悪いため人と同じだけの仕事ができないわけです。そこで、渡辺さんのところに相談にきたのです。
渡辺さんは彼女に「それが現実ではありませんか」と言ったのです。
「あなたの足が悪いことは事実ではありませんか」と、
ずいぶん冷たい言い方であったけれど事実だから言ったといいます。そして、その人は、足が悪いという変えられないものを受け容れ、
何が変えられるのかを考えなくてはならないと書いています。足の悪いのは変えられない、でも思いは変えられる。
落ち込む思いでなく、いつものように笑顔でみんなに接する。
心強く持てばできないことはありません。その結果、この女性は立派に立ち直って、
もとよりもっと美しい笑顔を持つ人になったといいます。ありのままの自分、つまり片足が悪いということに恥ずかしさを感じないで、
胸をはって歩く、そんな人になったわけです。
片足が悪いというのは、治すことができない。
できなければ恥ずかしいという思いを変えて、強く胸をはって歩く。
そんな生き方はとても尊く思います。
誰でも、思いは変えられます。
善なる思いを常に抱き、生きていくことです。
自分という花の香りを放つ
今まで言葉と行い、そして思いについてお話ししてきました。
それらの自分が培った善の花の香りを、
今度は周りの人に、漂わせていくわけです。
そんな花たちが咲いている丘は、きっと美しいでしょう。
このお話(平成28年5月)をする少し前、
80才になるという男性が訪ねてこられました。
お寺に上がっていただいて話を聞くと、
ウエスト・ヴィレッジという喫茶店での話に参加したというのです。
そこで「法愛」をいただき、それを読んで感動し、
是非この文を書いている和尚様に会いたいと来たのです。
その人は努力について関心があり、
5月の法愛の後ろの詩に「努力」という言葉があって、
是非努力について教えてもらいたいというのです。
その詩を載せます。「今度は私が」という題です。
「今度は私が」
人はやさしくされると 心があたたかくなる
人は親切にされると ありがたくなる
その思いを忘れないで
今度は私が やさしく親切にしてあげる
そうして少しずつ努力し 善を積んでいくと
その努力が 必ずむくわれて 心があたたかくなる
生きているのがありがたくなる
私は、その男性に言いました。
「努力ということですね。自分の時間が10個あるとします。
そのうち3個、人のために使う努力をする。
人のために努力する時間が、その人の人格を築いていくわけです」
そういうと、目を丸くして「初めて聞きました。ありがたい」
そう言われた顔には笑顔が満ちていました。
人は自分が幸せになるための努力は、確かに大切です。
でも、その自分のために使う努力を少しだけ、相手の幸せのために使う。
自分の善という花の香りを、相手の人に分けてあげ、共に幸せになっていく。
その生き方に、人としての徳が培(つちか)われていくのです。