もっと素直に
相手の幸せを感じているときも、ほんとうの自分に出会っているのです。
あるいは相手の悲しみや苦しみなども感じとり、
その悲しみや苦しみをどうにかして和らげてあげたい。
そう思っている自分も、尊い自分です。
ここで、投書を紹介し、学んでみます。
「祖母の愛」という題で、59才の女性の文です。
「祖母の愛」
子どもの頃、母に連れられて、
電車とバスを乗り継いで祖母の家に遊びに行くと、
帰りに必ずお金を渡してくれた。祖母は早くに伴侶を亡くし、農業をしながら女手一つで6人の子を育てた。
暮らしぶりは貧しく、
子どもの目から見ても、家にお金がないことは明らかであった。
それでも、帰ろうとすると、必ず100円札を1枚、多い時は2枚
四つ折りにして手のひらに握らせてくれた。私は「ありがとう」と受け取りながらも、だんだん気が重くなっていった。
あるとき、いつものようにお金を渡してくれる祖母に、
「いらん。おばあちゃん、自分で持っちょきや」と突き返した。祖母は苦笑いしながら、
「ちょっとだけやき、お菓子買い。また来てよ」と言って、
手を引っ込める私のポケットにお金を差し込んでくれた。「お金ないのに・・・・」
私は泣きそうになった。あれから50年が過ぎた。
祖母が亡くなってからも十数年がたつが、
今、私自身が孫を持つ身となって、祖母の気持ちが少し分かるようになった。私はお年玉やお小遣いに結構大盤振る舞いしている方だと思うが、
孫への無償の愛は、経済の壁を超えるというものだ。祖母は心から私を愛してくれた。
だから、なくなれば困るほどのなけなしのお金を、
ためらいもせず、喜ぶ顔と引き換えに渡してくれたのだと思う。私は、もっと素直に、祖母の愛に応えるべきだった。
(毎日新聞 平成28年3月13日付)
こんな投書です。
この投書を書いた女性が小さいころの時、
祖母の家が貧しいことを知っていて、
そんな祖母がお小遣いをくれるのを最初は嬉しいと思っていたのが、
祖母の生活を見て「いらん。お金がないのに・・・」と、泣きそうになってしまった。
自分が祖母になって、孫たちにお年玉やお小遣いをあげる。
そのとき、昔、お小遣いをくれた祖母の気持ちが初めてわかったのです。
祖母が私を心から愛してくれていること。
私の喜びと引き換えに、なくなれば困るほどのなけなしのお金を
ためらいもせず、くださった。それが祖母の幸せであったこと。
祖母の幸せを感じとることができたのは、
自分が同じ立場に立ったからでしょう。
そして回顧しています。
「私は、もっと素直に祖母の愛に応えるべきであった」と。
このように回顧し、反省しているこの投書の女性は、
ほんとうの自分と向き合って、相手の幸せを感じとり、
その幸せを大切にしようとしています。
(つづく)