法話

よい人生であったと思えるために 4 命尽きた、次の世を信じる

あの世の古里

人生を生きぬいて、自分の人生に点数をつけると、
100点満点で何点とれるでしょうか。
この世も、どう生きればよいかの、試験のようなものかもしれません。

この世という学校に生まれてきて、さまざまな体験をし、
この世の学校を卒業し、あの世の古里に帰って、そこでこの世で培った知恵を生かし、
また新たな生活をするのです。

亡くなったら、決して無になって消えてしまうのではありません。
お釈迦様も、「善を積んだ人が、この世でもあの世でも安楽に臥す」と言っています。
安楽とは安らかで幸せの思いです。

奪うばかりの人生でなく、
感謝の思いを深めながら与える人生を生きた人が善を積んだ人と言えます。
そんな人がやがて死をいただき、安らかな世界に帰っていくのです。

また会おう

以前「おくりびと」という映画のことを、
この「法愛」(平成27年8月号)に書いたことがありました。

その中で、笹野高史さんが、火葬場の職員をしていて、
その体験で語った言葉を載せていました。もう一度、載せてみます。

長い間ここにいると、つくづく思うんだよ。
「死」は「門」だなあって。

死ぬというのは、終わりというのではなくて、
そこをくぐり抜けて次に向かう、まさに「門」です。

私は門番としてここでたくさんの人を送ってきた。
「いってらっしゃい。また会おうのう」と言いながら。

感謝の思いを深め、苦しみも辛いことも自分の心の糧とし、常に与える側に立ち、
「いい人生であった。みなありがとう」と言って旅立っていく。
そして、あの世で、またこの「法愛」と再会して出会えば、そこは安楽の世界です。

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