法話

開いて手を合わす 3 一華(いちげ)という尊さを見つける

一生けん命さの中に

一華とは、きれいな花に似た、
人としての尊さとか有難さを表しています。
では、その花をどう見つけ出したらいいのでしょう。

地方新聞で『長野日報』という新聞がありますが、
その多くの記事が地区で活躍している人のことを載せているのです。
週刊誌のような、人を批判する記事はありません。

たとえば、4月1日の記事に、
「美しい和楽器の音 子どもたち響かす」という題で、
コンサートが開かれた記事が載っていました。
和服姿の女の子たちが琴を奏(かな)でる、そんな写真が載っていて、
それが一つの花に見えるのです。

一生けん命に活動し、みんなに喜んでもらえる。
そんな姿を尊く思い、そんな新聞の記事からも
一つの花なる「一華」を見つけ出すことができます。

無駄なものはない

よく使われている
「この世には無駄なものは一つもない」
という言葉があります。
この言葉も、きれいな花を見つけ出す力になります。

5月にもなると、庭にたくさんの草が出てきます。
その草にも小さな花が咲いていて、取るのに、少し躊躇します。
何だか可哀そうになるのです。
でも、庭を草だらけにしておくことはできません。
ですからこまめに草取りをします。

いつだったか、ある方がお寺にこられ、お寺の庭を見て、
「和尚さん、この庭は草が生えないのですか」と言うのです。そのとき、
「とんでもないです。草がいっぱい生えてきて、
草のない状態にしておくのは、大変なことです」。
「そうなんですか。草が生えないと思っていました。
私の家でも、草が生えてきて、取るのに苦労しています」。
そんな会話をしたことがあります。

庭に生える草は無駄なものでしょうか。
できれば生えてこないにこしたことはないのですが、
取っても取っても生えてきます。

考えようでは、その強さに頭が下がります。
雑草の強さをよく聞きますが、何か困難なことがあれば、
その強さを学びとして、自らもくじけない生き方を教えてもらえます。

以前書いたことがありますが、
草を取らない場所を作り、そこは草を取らないことにしています。
そこには赤と白のミズヒキが生えてきます。その小さな笑顔に、心が癒されます。

無駄なものはないといいますが、
多くのものを、そうとらえていくのが、賢い生き方ではないでしょうか。

無駄なものはないと、気づく

私の修行時代に、愛媛県の宇和島にあるお寺さんに、
お盆の棚経のお手伝いに行ったことがありました。
1日に40軒から50軒ほどまわるのです。

その日の棚経を終えてお寺に帰ると、電話が来て、
1軒とばしてしまい、ずっと家族の人が待っているというのです。
知らない土地ゆえに、起こってしまったことですが、
私が「いけないことをしてしまったのだ」と思い、その家に歩いていきました。

雨がしきりに降っていました。
その家にたどりつくと、腰から下がびしょぬれです。
私の姿を見た、そこの奥様が、とても嫌な顔をしました。
正座だと座布団がぬれてしまうので、椅子を出してくれました。
心を込めてお経を読みました。

お勤めが終わって、振り返ると、
奥様の顔が優しい顔に変わっていて、
言葉使いもていねいに、お礼を言ってくれました。
帰るときには「雨にぬれて、大変でしたね。気をつけて帰ってください」
と、送り出してくれました。

その体験から、お経の力は尊いものだと、心から感じたのです。
びしょぬれであっても、私のお経を聞いて、奥様の心が柔らかくなったのです。
きっとその家のご先祖様も、私と奥様の気持ちが通じて、感謝をしていると思ったことです。

こんな投書もあります。
「不安から救ってくれた言葉」という題で、56才の男性の方です。

「不安から救ってくれた言葉」

祖父は信心深く、朝晩、読経をしていた。
小学校3年だった私が暗唱すると、
「よく覚えたね」と目を丸くして感心していた。

その年の夏休み、父、妹と神奈川県の江の島へ海水浴に行った。
私は水泳の教室に通い、泳ぎは得意だった。
クロールと平泳ぎを交互にしながら進むと、かなり沖に出てしまった。
幸いブイ(水泳ようの浮き袋)があってつかまっていたが、
辺りに人影はなく体は冷えて寒くなる。恐怖から泣きそうになった。

そのとき、祖父の言葉を思い出した。
「つらいことがあたら、お経を唱えたらいい」。

私は震える声で唱え始めた。
難度か唱えるうちに不思議と気持ちが落ち着き、
ゆっくりと岸に向かって泳ぎ、たどり着くことができた。
父と妹はまったく気付かず、海の家で食事をしていた。

家に帰り、祖父に報告すると、
「仏様が助けてくれたんだね。海は侮ってはいけないよ」と諭された。

(産経新聞 平成27年9月18日付)※カッコは筆者

この投書を書かれた人は、お経の力とその尊さに気づいています。
たった一つの体験ですが、50年あまり前のことを覚えていて、投書したのです。

無駄なものはないと一つでも気づけば、それが点になり、
もう一つ気づけば、やがて線になり、さらに一つ気づけばやがて面になって、
それがその人の人格を深め、相手をやさしく包んであげる、
そんな人になっていきます。

一華(いちげ)という小さくても尊いものを探し、
一つひとつ気づいていくと、そこに幸せの世界が広がって、
相手をも幸せにできる人になっていきます。

(つづく)

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