尊さに関心を持つ
最後の章として、
今までお話ししてきた尊さを、どのように見つけ、
自分のものにしていったらよいかを考えてみます。
まず考えられることは、尊さということに関心を持つことです。
人としての尊さとは何か、生きるうえでの尊さとはどういうものか、
どう生きたら尊い人生を送ることができるのかなど、
この問いに関心を持ち、日々を暮らしていくのです。
関心がないものには、興味を抱くこともなく、学ぼうともしません。
音楽に関心のある人は、音楽を聴いたり、
自分の関心のある楽器を習うかもしれません。
草花に関心のある人は、本を買い求めて、
草花の名を覚えたり、育てたりするかもしれません。
ある家に二宮金次郎の石像が置いてあるところがあります。
少年の姿で、背には薪を負い、手には本を開いて読みふけっている、
そんな姿をしています。
勤勉さを大事にしているのでしょう。
その石像を建てた人は、とても勤勉で、たくさんの資料のファイルを集め、
それが家の中には収まらず、小屋を立てて、
そこに、その資料をきれいに収めていたのです。
その小屋の中を見せていただいたことがありましたが、「すごい!」の一言です。
金次郎の石像に関心を持つことで、勤勉さを身につけた人だと思います。
誰からでも学ぶ精神を大切にする
吉川英治が「われ以外みな師」という言葉を残しています。
これを実践するのは難しいことです。
尊敬できる人や、歴史に名を遺した人の意見や考えは受け入れやすいのですが、
年下や子ども、あるいは尊敬できないような人、嫌いな人の意見を、
自らの学びにするのは、なかなかできないことです。
お寺の裏庭で、何か動物の鳴く声がして、
どこから聞こえてくるのかと探してみると、
近くの水の流れていない川に、タヌキが横になって死にかけていました。
もう逃げる力もありません。
「こんなところで死なないでくれ」と思いながら、
少し時間をおいて、再びそこに行くと、すでにタヌキが死んでいます。
可哀そうに思い、山に穴を掘って、お地蔵様のお札と共に、埋葬しました。
そのとき、やはりお地蔵様は偉いものだと思ったのです。
タヌキ君と共に、埋葬されて、その地蔵様の使命を果たしています。
お地蔵様は、代受苦(だいじゅく)といって、
相手の苦しみを代わりに受けてくださる働きをしています。
一枚のお札でありますが、その尊さに学ぶものがありました。
何からでも学ぼうと思えば、学べるのです。
いつも感謝の心を忘れない
いつも感謝の思い忘れないでいると、
人生の中で、代えがたい尊さを見つけ出すばかりでなく、
自らが尊い生き方ができるようになります。
最近「ヤングケアラー」という言葉がでてきました。
イギリスからこの言葉が来ているようですが、
日本語では「若年介護者」と意味するようです。
でも、一般の「介護」と少し違う意味で、
カタカナを使っているといいます。
家事をしたり、家族の中に病気や介護しなくてはならない人がいれば、
その人のお世話する子ども達のことをいいます。
立場はそれぞれですが、そこに感謝の「ありがとう」があると、
尊い生き方ができるようになります。
17才の女性の投書(毎日令和3年3月28日)がありました。
「胸に響く母の『ありがとう』」という題の投書です。
「胸に響く母の『ありがとう』」
うちは母子家庭です。
私が生まれて直後、父は病気で亡くなりました。
母は私より6つ上の兄と生まれたばかりの私を、
女手一つで育ててくれました。私は小学校5年生の頃から、
母のお手伝いをするようになりました。
朝、登校前に3人分の洗濯物を干したり、
ゴミ捨てに行ったりしました。
中学に上がると、洗い物や掃除機がけ、
トイレと風呂掃除もしました。休日の昼などゆっくり過ごせる時間を、
家の手伝いで奪われてしまうことが嫌でした。
けれど、母は昔から
「ありがとう、助かった」
と必ず私にお礼の言葉をかけてくれました。
その言葉が、とても胸に響きました。小さい頃は、お手伝いをしなくてもいい友達を
うらやましがっていましたが、
今は小さい時からの経験によって
友達にはない家事の力がついていることを母に感謝しています。
これからも、母と助け合って生きていこうと思います。(毎日新聞 令和3年3月28日付)
こんな投書です。
母の「ありがとう」に力を得、家事の力がついたのは母のおかげと感謝しています。 母も子も大変な思いをしているのに、そこに感謝の思いがあるからこそ、
明るく助け合って生きていけます。
このお話を一言でいえば、尊さを見つける力、
それは感謝の思いといえます。