宝を探そうとする
今年は新型コロナウイルスのために、
夏の子供会合宿ができませんでした。
毎年、開催している子供会で、さまざまな企画を立て行っていますが、
その中に「宝探し」というゲームがあります。
小さく切った紙に番号をつけて、その紙を折りたたみ、
子供の人数にもよりますが、40個ほど作ります。
お寺の隣が神社になっていて、折りたたんだその小さな紙を、
神社の灯篭の中だとか、大きな木のくぼみの中に、工夫して隠すのです。
その紙を見つけた人には、お菓子ひとつとか、
番号によっては100円店で買ってきたおもちゃをあげます。
お寺の山門の前に子供たちが集合し、
「さあ、見つけておいで」と声を掛けると、
みな「ワーッ」と言いながら走っていきます。
宝を見つけると、得意になって「見つけた。ここにもある」
と叫んで嬉しそうです。
1時間ほどのゲームですが、みな楽しそうに遊びます。
小さな紙を探すのは、探検のようでもあり、
見つけたときの喜びは大きなものがあります。
今回のお話のテーマは「すべてが宝と知る」ですが、
子供たちが隠した小さな紙を探し見つけるように、
幸せに生きる「宝」を探しているでしょうか。
もしその宝が見つかったら、「見つかった。嬉しい」と、
喜びの声をあげたことがあるでしょうか。
幸せになるための宝は、日々暮らしの中にたくさんあります。
その宝は隠されてはいないのです。ただ、気がつかないだけなのです。
感謝の思いが宝を探す力となる
10月号の中に数々の宝をお話ししました。
草花の美しさが宝である。
枯草も美しい、仏様に飾って枯れてしまった花も美しく宝である。
何度も縫い直した修行の着物も宝である。
行脚し履なくなった草鞋(わらじ)も宝である
。父の口うるさいことも、思い返せば宝であった。
そんな宝をあげています。
その根底にあるものはなんでしょう。
そう、感謝の思いです。
前述したなかにも、感謝は宝であるということをいいましたが、
感謝の思いが宝を探す、大切な心の力といえるかもしれません。
とかく人は、恵まれている中にいると、
その恵まれていることに気がつかなくなり、
「あたりまえ病」にかかってしまうのです。
病になって健康の有り難さを知る、というのはよく聞く話です。
健康で日々を暮らしていると、その健康という宝が、
宝として見えなくなってしまう。
そんなときに、感謝の思いを抱くと、
歩くことのできる幸せ、美味しいものを食べられる幸せ、
家族がいることの幸せなど、さまざまな事が
幸せになるための宝に見えてきます。
そしてできれば、自分を支えているすべてのものが、
そこに偶然にあるのではなく、大いなる存在、
神仏から与えられていることを知ることです。
神仏から与えられているからこそ、宝であり、
その宝を両手で受けとめていく。そうすることで、
自らの心にも、神仏の思いが宿るのです。
まとめとして、こんな詩を作ってみました。
「輝いて見える」
心の持ちようで
まわりの世界が
輝いて見えたり
泥(どろ)のように見えたりします
もし感謝の思いが深ければ
すべてがありがたく
喜びに満ちて見えるはずです怒りや不満の思いでまわりを見れば
野辺に咲く花も
見えないかもしれませんすべてが輝いて見える
そんな心の思いを宝とするのです穏やかで やさしく
感謝の思いにあふれる
その思いが
ダイヤモンドのような
輝きのある世界を見せてくれますそのとき
至福の涙がこぼれ
神仏と一つになった自分を知るでしょう