まずは食べていかなくてはならない
よく生きるのではなく、ただ生きるとはどういうことでしょう。
『般若心経』というお経の中に
「一切苦厄」(いっさいくうやく)という言葉が出てきます。
簡単に訳せば、すべてが苦しみであるという意味ですが、
この言葉を捩(もじ)って、「一切食役」と、
生前、母が言っていたことを思い返します。
子どもがお腹をすかせて、
「何か食べたい。腹へった」と言いうと、
「子は、いっさい食う役だ」と言い、ご飯を作っていました。
お寺の奥さんらしい、言い方です。
最近読んだ本の中に、長嶺超輝(ながみね・まさき)氏が書かれた
『裁判長の沁みる説諭』(河出書房新社)があります。
この本の中に、次のようなエピソードが載っていました。
少しまとめて載せます。
深夜、コンビニの店員に、あるお客様が
「トイレが開かない。もう10分も待っているのに」
とクレームが入ったのです。店員は、ドアを何度もたたいて、
「ドアを開けてください」と中に入っている人に呼びかけました。
しかし、どうしてもドアを開けません。そこで店員がカギをこじ開けて、ドアを開きました。
するとそこに、小さな男の子がいるではありませんか。
そこには商品のおにぎりを幾つも食べた跡があり、
おにぎりのビニールが散乱しています。
まだ、会計をすませていない商品でした。通報を受けた警察が来て、
万引きをしたのは小学生であることがわかりました。家に帰すつもりで、その子に事情を聞くと、
1週間あまり、何も食べていず、
「お母さんに蹴られる。何か食べたくて、家を出た」
といい、身体には暴行を受けたあざがありました。このままでは死んでしまうと思ったこの子は、
深夜家族が寝静まったときに、家を飛び出して、
このコンビニに来たのです。後日分かったことは、実の父親と同居していた
この子と血のつながっていない女が、暴行を加え、
父親は黙認していたようです。(長嶺超輝『裁判長の沁みる説諭』 河出書房新社)
子どものうちは「いっさい食う役」なのに、
1週間も食べさせてもらえませんでした。
この子は、家を抜け出して、コンビニのおにぎりを食べましたが、
死ぬよりも、生きるほうを選んだ行動でした。
1週間食べさせなかった理由は、
冷蔵庫にあった鳥の唐揚げをつまみ食いをしたということでした。
この裁判で実の父親と女は懲役1年の実刑を受けたといいます。
この事件に携わった同じ年齢の子を持つ女性の裁判長が
「息子さんの良いところ、長所を3つあげてください」と尋ねると、
実の父親と女は答えられなかったといいます。
日々困らずに食べていけるということは大事なことです。
特に子どもさん達が安心して、日々の食事ができる。
生きていく日々の中では大切なことです。
働いて、食べていく
食べるためには、働かなくてはなりません。
花も昆虫も動物もみな食べなければ生きていけません。
人間も同じです。
この『法愛』を作っている経蔵のガラス窓から外の景色が見えるのですが、
しばらく外を眺めていると、さまざまな鳥がやってくるのに気づきます。
ハトやヒヨドリ、アオゲラ、コゲラ、エナガ、シュジュウカラ、
ホウジロ、カワラヒワ、カケスなどの鳥たちがやってきます。
みな食べるために、餌を探しています。
鳥の中でも驚くのがホトトギスです。
ホトトギスは他の鳥が食べない毛虫を好んで食べるといいますが、
それは他の鳥と違う餌を食べることで、
餌の奪い合いを避けていると言われています。
昨今の新型コロナウイルスで、
マスクや紙、食料品の買いだめをしている人間よりも、
奪い合いを避けるホトトギスに学ばなくてはならないような気がします。
ホトトギスの驚く行動は、
ウグイスの巣に自分の卵を産み付け、
ウグイスに自分の子を育ててもらうということです。
これを托卵(たくらん)というようですが、
ホトトギスの卵のほうが早く孵化(ふか)するので、
まだ孵化していないウグイスの卵を背中で押して外に出してしまうのです。
ウグイスの巣に自分の卵を産み付け、
先に孵化して、ウグイスの卵を押し出してしまう。
おにぎりを盗んで食べた少年のように、
自分が生きていく力を捨てない。そんな思いがします。
また、自分で育てられない子がいたら、
虐待して殺してしまうよりも、
育てられる人にお願いするということも、
ホトトギスが教えていることかもしれません。
働きの中に、学びを得る
食べていくために働かなくてはなりませんが、
人間はその働きの中に、自らの学びと、
人の幸せのために働きたいという精神が宿っています。
ただ、食べるためにのみ働くのでなく、
その働きが、多くの人とつながり、
支え合っていることをしっかり受け止めていくと、
よりよく生きることにつながっていきます。
私もただ坊さんをしているのでなく、先月のお話のように、
「どのような坊さんであらねばならないか」を自問自答しながら、
坊さんという仕事をしています。
先月の『法愛』の「みにミニ法話」の中に、
「はちみつ」という詩を載せました。
いっぴきのミツバチが一生集める蜜の量は
ティースプーン一杯ほどと書かれていました。
私の生涯の仕事も、
ティースプーン一杯くらいしかないかもしれませんが、
それが他の人の力となり、他の人の心をあたたかくするものであれば、
「よし」と思っています。
一生で出来る仕事は、みな小さなものであるかもしれません。
「ただ、生きる」のではなく、「よりよく生きよう」とする時、
その仕事に善のぬくもりが宿るのです。
そして相手にそのぬくもりが通じていき、
支え合う世界がそこに開けてきます。
幸せの花が咲いていきます。
(つづく)