先月は「幸せも苦しみも流れていく」というテーマでお話し致しました。
いつまでも幸せはここにあってほしいと思いますが、
そんな幸せも流れて変化していきます。
でも、幸せや苦しみが流れていくからこそ、救われることもある。
そんなお話でした。続きです。
ずっと今の幸せが続いてほしい
今の幸せがずっと続いてほしいというのは、誰しもが思うことです。
そうであれば、苦しみもないのですが、人生はそんなに甘くはありません。
この思いは幸せをつかんで離さない思いに通じていき、
苦しみを呼び寄せる考え方でもあります。
いつまでも健康でいられるという保証はありませんし、
いつまでも若いと思っていても、しだいに年を取り、
腰が痛くなったり、足が弱くなって、若いころの機敏な動きもできなくなってきます。
新しく建てた家も、建てたばかりはきれいで、それに満足して暮らしていても、
やがて家は古くなり、お台所もお風呂も汚れてきて、
建てたばかりの時の幸せ感は薄れてきます。車も服も靴も、みなそうです。
お寺の本堂には、いつも花を絶やしたことはありませんが、
新しくお供えさせていただいた花はきれいで、すがすがしい思いになります。
夏などは花のもちが短く、すぐしおれて枯れていきます。
そのときは、せっかく生(い)けたのに、もう枯れてしまったと、
少し不満の思いになります。
そうかといって造花では、心がこもっていないので、仏様が天から降りてきません。
こんなときは、花は枯れていくものだと思い
「ありがとう」の言葉を添えて捨てさせていただき、
「お願い致します」と念じながら新しい花をお供えします。
そんな心構えが必要なのだと気づかされるのです。
花でさえ、ずっと新鮮ではいられません。
幸せもずっと変わらないで、ここにいつまでもあることはできないのです。
では、どのように、幸せを受け止めていったらいいのでしょう。
流れる美しさからの学び
信州には天竜川が流れています。
その天竜川では舟下りがあって、一度乗ってみたことがありました。
川の中から見る景色は、丘から川を見る景色と違い、
変化にとんだ美しさがあります。
舟が川を下っていくと景色が移り変わっていきます。
そんな景色の移り変わりも、心を癒してくれます。
人生も川にたとえると、自分という舟が人生という川を下っていくのです。
その舟から両側の景色が見えます。その景色が次第に移り変わっていきます。
ある地点の景色が素晴らしいと思っていても、
自分という舟は休みなく川を下っていきます。
素晴らしいと思った景色でさえも、
いつまでも眺めていることはできません。
その景色を止めようと思って、
自分という舟を川に止めようとして川の流れに逆らっていると、
舟が転覆(てんぷく)してしまうかもしれません。
それが苦しみになるのです。
幸せもそうなのです。
人生という川のたとえからいえば、
幸せも両側に見える素晴らしい景色なのですが、
その幸せという景色を止めようとつかんでいると、
舟が転覆してしまうように、幸せが苦しみに変わってしまうのです。
ですから、今ある幸せの景色を大切にし、
そこから大切なものを学び取りながら、
次に現れる幸せの景色を流れの中で自然に受け止めていくのです。
受け止めては、そこに大切な学びをしていく。
そうすることで、変化していく幸せをいつも新鮮に受け止め、
さらには、そこから何かを学び取って生きていくことができるようになります。
少女が教えてくれたこと
少し抽象的になってしまったので、具体的なお話をします。
ある投書から、そのことを学んでみます。
この投書は68才の男性の方です。
「少女が教えてくれたこと」という題です。
「少女が教えてくれたこと」
先日、JR横浜駅で京浜東北線の上りホームに立って電車を待っていると、
中学生くらいの少女が、
70歳前後の少し右足が不自由なご婦人の手を引きながら階段を上ってきた。「今どきよくできた孫だな」と感心して見ていたが、
階段を上り切るとご婦人がほっとした顔で
「どうもありがとう。本当に助かりました」とお礼を言ったので、
少女は孫でないとわかった。
少女は「気をつけて帰ってね」と言って、下りホームを去っていった。
途中ですが、投書を書かれた男性が、
ご婦人と中学生くらいの少女の様子(景色)を見ています。
ここで、少女がご婦人の孫ではなかったことに、少し驚きと感動を持ち、
その光景に幸せを感じたことを次に書いています。
日頃、苦労して階段を上っている年配者に
体をぶつけるようにして駆け上がる人を見かけることが多い。
苦々しく思っていたので、やさしく手を引く少女が輝いて見え、
心の中がぽかぽかと温かくなった。
再び途中ですが、少女が輝いて見え、
自分自身も心の中がぽかぽかと温かくなり、幸せを感じ取っています。
そして、こんな学びをしています。
高齢者になり、自分のことさえできれば、
それで十分と考え毎日を過ごしてきたが、少女に
「困っている人を見たら、ちょっと手を貸そうよ。
元気なうちはおじさんもそうだよ」
と教えられた気がした。いずれ体が自由に動かなくなり、
他の方の助けをありがたく思う時が来る。元気なうちにいずれ引き出すことになろう
「思いやり貯金」を少しでも増やしておこうと思った。(朝日新聞 平成25年3月10日付)
少女から「困っている人を見たら、ちょっと手を貸そうよ」と教えられたと、
この投書を書いた男性は学んでいます。
さらに、元気なうちに「思いやり貯金」を
少しでも増やしておこうと思ったと言っています。
少女とご婦人のほんの一コマの景色から、
多くの学びをしていることがよく分かる投書です。
この男性も、とても素直に流れる景色を受け止め、
自分の幸せにしながら大切な学びをしている様子は、尊いものがあります。
苦しみも止めてはいけない
幸せもそうですが、苦しみも流れては消えていくものです。
景色が移り変わっていくように、苦しい事ごとも、
心にいつまでも止めておいてはいけないのです。
昔、悪口を言われたことや傷つけられたことなどさまざまに、
そのことを忘れないで恨みを抱いていると、
その思いが、きれいな心を汚していきます。
私自身、他寺院へお話に行くと、
そこのお寺に隣接している幼稚園の子供たちが、私を見つけると
「ああ、ハゲ坊主が来た!」といって大声を出すことがあります。
心の中では「このやろう!」などと思っているのですが、
顔では笑って通りすぎます。
このような悪口は軽いものなので、すぐ忘れてしまいますが、
「お母さんなんて大嫌い!」と言われた母が、
そのことを忘れられなくて、ずっと悩み続けていた
ということをどこかで聞いたことがあります。
でも、言った娘さんは母を傷つけようと思って言ったのでなく、
その場の状況で、出てしまった言葉であったかもしれません。
心にずっと止めていることで、苦しみがさらに増してしまいます。
俄(にわ)かに空に広がった黒雲が、大粒の雨を降らすように、
苦しみの雨に打たれてしまいます。
過ぎ去った嫌な事ごとは忘れてしまうことです。
そして、自分はそういう人間にはならないと、心を戒めることです。
こんな詩を見つけました。
69才の女性の方の詩です。
グラジオラス
別れようと思い
夫にあれこれ告げた
ゴミの日やカンの日
貴重品の保管場所
あとはサッサッと
出ればいいものを
植えたグラジオラスが
うしろ髪を引く
花を見てからでも
遅くはあるまい
それがまずかった
憎しみは長くは続かず
家出するのを
忘れてしまった(産経新聞 令和元年7月13日付)
夫と何があったのかわかりませんが、
別れようと思うほど嫌なことがあったのでしょう。
でも、グラジオラスの花を見ていると、
憎しみは長くは続かずに、家出するのを忘れてしまったと書いています。
花は憎しみ消す力があるのでしょうか。
この女性の心根のやさしさからでしょうか。
流れの中なかで変わらないもの
すべては流れて変化していくとお話をしてきましたが、
変わらないものもあります。
夢を追い続けるとか、目的を失わずに努力するとか、
あるいは人としての正しい生き方を変わらず持ち続けるとか、さまざまでしょう。
俳優の津川雅彦さんが昨年の8月4日、78才で他界されました。
津川さんは以前、拉致問題を一日でも早く解決できるようにと、
ボランティアで拉致問題啓発のポスターに起用されたことがありました。
どうしてだろうと疑問を持ったのですが、
津川さんが女優の浅丘雪路さんと結婚されて、
真由子という子どもさんができたのです。
でも、生後5か月の時、その子が誘拐されたのです。
この時、無事に帰ることはできないかもしれないと覚悟したのですが、
41時間ぶりに救出されました。
この事件後「日本一の役者になる前に、世界一のパパになろう」と決心したのです。
娘さんと遊ぶ時間を作るために、夜の銀座やマージャン、
週末の競馬通いをきっぱりやめました。
木製のおしゃぶりを買いに出かけ、
プラスチック製しかないことにショックを受けて、
自然で安全なおもちゃだけを扱う店まで開いています。
子どもを大事にする心根は一生変わらなかったのです。
ですから、子どもを拉致された人の心の痛みを知り、
拉致問題啓発のポスターの起用を進んで受けたのです。
そんな変わらない精神も、尊く美しいものです。