お経の文字が仏
できることならば、生きている時に仏に出会い、その出会いから、
さらに幸せを培い、その幸せを周りの人に与えていくことが大切です。
仏と出会い、仏を見る方法を3つほど挙げてみます。
まず、1番目はお経の文字が仏であるということです。
この法話をした平成25年の頃ですが、諏訪市のサンリツ服部美術館で
「名品との出会い」ということで、重要文化財3件を含む、
さまざまな美術品の公開がありました。
当時の「長野日報」という地方新聞にその様子が掲載されていました。
その中に「紺紙金字一字宝塔観普賢経」
(こんしきんじいちじほうとうかんふげんきょう)というお経が載っていました。
そこには、金色で描かれた仏と、銀色の壺の形をした宝塔の中に、
一つひとつのお経の文字が描かれています。
その宝塔の中に入っているお経の文字が仏であるというのです。
ですから、よく読まれる「般若心経」の文字も
一つひとつ仏の姿を表しているといえます。
さらに京都の六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)に
空也(くうや)というお坊さんの仏像があります。
運慶(うんけい)の子である康勝(こうしょう)の作であると言われています。
空也は平安時代に、念仏を唱えて
浄土信仰の先駆けとなる布教をしたお坊さんですが、
その仏像の口から阿弥陀様の像が6体並んで出ているように作られています。
その6体の仏様は「南無阿弥陀仏」の6文字を仏として表しているといいます。
口から出る、「南無阿弥陀仏」の言葉が仏なのです。
ですから、たとえば「般若心経」を読むと、
口から仏が現れ出てくるともいえます。
その仏は、私たちの心の汚れを伴って外に出してくれるので、
お経を読んだ後すがすがしく感じるのです。
自分の心の中に仏を見る
自分の中に仏を見るというのが2番目です。
昨年の12月17日に伊那市のウエスト・ヴィレッジという喫茶店で、
「幸せのありか」という演題で、1時間半ほどのお話を致しました。
そのとき、法話が終わって片付けを手伝ってくださった男性の方が、
お話を聞きに来てくださった方の飲み残しのお茶を捨てようと、
喫茶店の調理場に入った時、誤って転倒してケガをしたのです。
その方が後日、こんな手紙をくれました。
先日は、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。
ウエスト・ヴィレッジにもご迷惑をかけてしまいました。帰り道、歩きながら反省しました。
不注意だった事。茶碗を割ってしまった事。
後片付けをしてもらった事。
左小指を少し、右膝を少し切った事。落ち込みながらも、和尚さんの法話を思い出していました。
大きな負傷はなかった。小指は動く。歩ける。帰る家がある。
心配してくれる人達がいた。
「私は幸せに包まれている」と、気付く事ができました。
ありがとうございました。
ケガをするという大変な経験をされたのに、
「私は幸せに包まれている」と書いています。
その気づきは、心の中に自らの仏の姿を見ているのです。
同じような経験をしている方もいると思いますが、
自らの心を見つめ、幸せであると思えば、仏と出会っているのです。
相手の生き方や、言われた言葉の中に仏を見る
自分の心の中の仏と出会うという話でしたが、
さらに相手の生き方や、言われた言葉の中にも、
仏の姿を見ることができます。
この「仏と共に歩む」というお話をしたのが、平成25年6月24日です。
その月の6日に、伊那市文化財審議委員で古文書研究会の会長をなされている
久保村さんという方が、伊那ケーブルテレビの方と一緒に、
護国寺の位牌堂に安置されているお地蔵様を取材に来られました。
ずいぶん年配の方で、杖をついてお寺に来られました。
位牌堂に案内し、「これがお地蔵様です」と、
お地蔵様のいわれを少しお話しました。
久保村さんは「立派なお地蔵様ですねえ」と、
しみじみお地蔵様を見上げています。
お寺に来るときには杖をついて山門を入ってきたのですが、
帰る時には、すっかり杖を忘れて帰っていかれました。
玄関にあった杖を発見し
「久保村さん、杖を忘れていった。元気になっちゃった」
と、思わずそんな言葉がでてきました。
これもお地蔵様のお力なのか、と思わずにはいられませんでした。
これも随信行です。
そして帰り際に、久保村さんが言うのです。
「私のために庭も本堂もきれいにしてくださって・・・」と。私はそのとき
「久保村さん一人のためではなくて、仏様がいつでも天から降りてこられるように、
お参りに来られる方が気持ちよくお参りできるためにと思い、
きれいにしているのですが・・・」と答えたのです。
後日、このことをどなたかにお話すると、
「和尚さん、それは仏様から来た言葉じゃないですか。
仏様の変わりに、久保村さんが言ってくださったんですよ」と。
そう言われて初めて気づかされました。
「ああ、久保村さんを通じて、
仏様がきれいにしてくれていてありがたい、と言ってくださったんだ」と。
相手から投げかけられた言葉にも、さまざまな言葉があります。
やさしい言葉。きつい言葉。叱る言葉。励ます言葉。笑いをいただく言葉。
そんな言葉の中には、仏から来た言葉があるかもしれません。
その言葉を聞いて、幸せになったり、あるいは不満を思うこともあるかもしれません。
でも、その言葉が、自分に何かを気づかさせていただいたものであるならば、
それも仏と出会っている尊い一瞬です。
同行二人(どうぎょうににん)という、
仏と私が志を同じくし、二人共に歩いている。
そんな言葉があるように、いつも私たちは、仏と共に歩んでいるのです。