相手のことを考えてみる
自分の考えは正しいのか正しくないのかと、
少し立ち止まって、自分を省みることが、自分をあやつる第1歩とお話ししました。
次に、相手のことを考え見つめることが、自分をあやつる第2歩になります。
相手のことが見えてくると、不思議と自分のことも見えてくるのです。
見えてくると、自分がどうすればよいのかがわかってきます。
こんな投書がありました。43才の女性の投書です。
折り紙に感謝の言葉
テーブルの上に、かわいいチューリップの折り紙が置いてあった。
しばらくすると、小学校2年生の次男がやって来て、
「お母さん、後で折り紙開いてみて」と言う。「せっかく上手に折れているのにいいのかな」
と思いながら開けてみた。折り紙の裏には、
「1がっきの間、おべんとう、つくってくれて、ありがとう。
2がっきもおねがいします」
と鉛筆で書いてあった。毎朝5時半に起きて、夫と小学5年生の長男、次男の3人のお弁当を作ってきた。
誰も何も言ってくれないし、正直いって面倒だと思うこともあった。特別なお弁当でも何でもないが、
認めてもらえたのがうれしくて、思わず涙がこぼれた。(読売新聞 平成22年7月17日)
折り紙の中に、お手紙を書いたというのが、とても素敵です。
「思わず涙がこぼれた」と書いているところは、
この方の気持ちがとても伝わってくるところです。
投書の女性が、家族のみんなに一生懸命お弁当を作っているのですが、
誰も何も言ってくれなくて、作るのが面倒と思うことがあると書いています。
そんな時、次男から手紙をもらって、そこに「ありがとう」と書いてありました。
みんなは普段、感謝の思いを言葉にはしないのだけれど、
本当は心の中で「ありがたいなあ」と思っていたことがわかったのです。
そして、みんなの気持ちがわかって、嬉しく思い涙がこぼれてきたわけです。
相手の気持ちがわかって、また頑張ってお弁当を作ろうと思うようになるわけです。
誰も何もいってくれないという、相手の気持ちがわからない時には、
お弁当を作ることへの迷いのようなものがあって、
しっかり自分をあやつることができませんでした。
でも相手の気持ちがわかったので、これからも一生懸命お弁当を作ろうと、
自分の考えを正しくあやつることができるようになったわけです。
相手の気持ちがわかると、自分はどうすればよいかが見えてきます。
目が見えなくて良かった
以前どこかで、目の不自由な視覚障害の人(Aさん)の話をしたことがありました。
Aさんが、電車の駅で待っていると、
「○○駅に行くのにはどの電車に乗ったらいいのですか」と、
まわりの人達に聞いている人がいます。
どうも男の人の声らしい。
でも、みんながそっぽを向いて、
その男の人の質問に誰も耳を傾けないのがわかります。
すると、Aさんに、その男の人が来て、同じ質問をしたのです。すると、Aさんは、
「ちょうど私、その駅に行きますから、
私も目が不自由ですので、そこまでご一緒しましょう」
と答えました。
その男の人と道すがら話していると、その人の事情がよくわかったのです。
「私は田舎から出てきて、今まで一生懸命に働いてきました。
田舎の母や家族には、毎月仕送りをしています。
どうも私の身なりが良くないようで、
みんな疑いの眼で私を見て、避けて通るのです。
でも、あなたはちゃんと私のことに答えてくれて、本当に有難く思います」
そう感謝していただき、別れたといいます。
そのときに、Aさんが思ったのです。
「私は目が見えなくてよかった。
もし目が見えていたなら、その人の姿を見て、
私も○○駅まで、案内したかどうかわからない。
案内しなかったかもしれない。
たまたま目が見えなかったから、その人に親切ができたのではないか、と思う」
この話からも、相手を正しく見ることができなければ、
自分の考えを正しくあやつることができなくて、
困っているこの男の人を、助けてあげることができないかもしれません。
自分の考えが正しいかを立ち止まって思い返し、
次に相手の気持ちを察してあげることが、
自分の考えをあやつる第2歩になるのです。
悪い心で見るフィルターを取り除く
相手の気持ちが見えない場合どうしたらよいのでしょう。
そのとき、相手の悪い所ばかりを見ていると、
決して相手の気持ちを理解することはできないでしょう。
まず、悪い思いで相手を見ているのではないかと自問自答し、
そうであるならば「悪意のフィルター」を外すことです。
そしてできるならば、相手の良い所を見つめてみるのがよいでしょう。
ある新聞の『人生案内』に、
「育児・転居 姑が協力しない」という問題で相談をしているのが載っていました。
概略を書きます。
30才の女性で主婦。
妊娠がわかって母と姉が献身的に世話をしてくれた。
しかし、義母は何もしないで旅行ばかり行っている。出産間近には海外へも。
転居の時も、母と姉は手伝ってくれたが、義母は何もしてくれない。子が生まれ、孫を見て義母は「この子はうちの子」という。
夫が小さいころ遊んだおもちゃを持ってくるというが、
汚い納屋に何十年も入れてあったものはいらない。「いい加減にしてほしい」。「自分が良いと思うことは人様にも良い」という勝手な義母。
どう付き合っていけばよいか。これに答えているのが、作家の久田恵さんです。
あなたは義母を「悪意のフィルター」で見ている気がする。
嫁の妊娠中、旅行ばかりしている。海外旅行もやめるべき。
孫の世話をしなくて身勝手。息子のおもちゃを使って欲しいのは非常識など。義母は実母や姉が妊娠中のあなたに献身するので、遠慮したかも。
子どもを産み育てるのは当事者と夫。
親が面倒をみてくれるのは当然というのは甘えでは。陰でいろいろいうのでなく、手伝ってほしいときには、
「手伝ってください」と言葉に出してお願いすべき。
外から見ているよりも、人はみな繊細。そもそも遊び好きの自分勝手な義母のほうが、
献身的で自己犠牲の義母よりも、ずっとつき合うのがラクだと、私は思う。(読売新聞 平成21年10月3日)
久田さんの言うように、相談者は義母の悪い所ばかりを見ている気がします。
義母は遊んでいないで、
私のことを手伝ってくれるのが当然という固定観念も少し見えます。
相手を見つめる時には、相手の良い面を見るといいましたが、
誰も何も言ってくれないのにお弁当を作り続けたお母さんの例のように、
きっと陰では相談者のことを気遣っているかもしれません。
今度は「感謝というフィルター」を付けて、相手を見てみることだと思います。
(つづく)