心の突起(とっき)
コンペイトーというお菓子があります。
小さくて回りに突起のようなものがでていて、ギザギザになっているお菓子です。
コンペイトーには悪いたとえで失礼なのですが、そんな心を持った人もいます。
それは、心に突起がでていて、そこにいろんなものが引っかかるのです。
川を見ると、川の中にとききどき枯れ木が引っかかっていて、
そこにいろんな屑(くず)がまきついたりしているところを見たことがあります。
同じように、心にも何か尖(とが)ったものが出ていて、そこにさまざまな思いが引っかかるのです。
引っかかるというは、どんなイメージかということです。
たとえば「頑張れ」という言葉があります。
運動会なので、「頑張れ」と応援するときには、
競技をしている人にとっては力が出る言葉です。
でも病気で苦しんでいる人に、「頑張れ」というと、かえって傷つけることがあります。
その言葉が心に引っかかって、「こんなに頑張っているのに」となるわけです。
相手は病人のことを考えて言っているのですが、当の本人は大変な思いをするときがあります。
私のもの、という欲望の突起
今回は「私のものと」いう心の突起の話を一つだけ致します。
まず私のものと強く思うことで、引っかかってくるものは、
私の夫、私の妻、私の子供、私の家、私の服、私のお金、私の足、私の目、
まだたくさんでてきます。
「寒い晩だねえ」
「寒い晩ですね」
妻の慰めとは、まさにかくの如くものなり
こんな言葉がありました。
奥様の旦那さんに対する素直な気持ちを感じます。
こんな些細な言葉のなかにも、相手を思う気持ちがでていて、
奥様のまあるい心を感じます。
それが旦那は私のものと強く思っていると、「寒い晩だねえ」という言葉にも、
「風邪をひくと困りますよ。もっとしっかり働いてもらわないとですから」となりましょう。
川柳に「100kgの俺を動かす妻のアゴ」というのがありました。
面白半分で言っているのでしょうが、
本当であれば「夫は私のもの」という心の突起に欲望がくっついているといえます。
私のことですが、ずいぶん前に、あるホテルに友人を迎えにいったときのことです。
12月初めの5時30分ころでしたから、あたりはすでに暗く、回りが見えにくくなっていました。
ホテルに着いて、友人を車に乗せ、そのホテルを出た時、
「ガガガー」という音がしたのです。
どうも、ホテルの出口にあったポールに車を引っかけてしまったようです。
車の右側のドアあたりが、可なりへこんで傷になってしまい、
後で車屋さんに修理代金を聞くと、18万円といいます。
ずいぶん修理代がかかってしまいました。
そのとき、私の車に傷がついてしまったという思いが、
心に引っかかっていつまでも取れないのです。
心がまるければ、そんな思いにも引っかかることなく、
「修理屋さんに儲けていただいた」くらいに思って、すぐ忘れてしまうのでしょうが、
なかなかそんなわけにはいきません。
あるいは、この足は私の足と強く思っていると、
年を取り、足が思うように動かないと、「お前(足)のせいで、まともな運動もできず、つまらない」
と足に不満をいうようになります。
まあるい心の人は、足の痛さに心がひっかからないので、
「今までよく働いてくれて、ありがとう」と感謝の思いを出せるわけです。
私のものというのとは逆に、私のものではないという欲望もあります。
自分が出したゴミなのに、私のものじゃあないと思い、路上に捨てる。
こんな厄介な年寄りは私のものじゃあないと思い、介護もしない。
この位牌は私のものじゃないと言って、手も合わせないし、お参りもしない。
みな醜い欲望の突起に引っかかってしまったことからくる、悲しい心の姿です。