法話

心を切りかえる妙法 3 心の道案内人を持つ

すべての楽しみにまさるもの

心を切りかえるために、もう一つ大切なものは、
人生を歩んでいくための案内人を持っていることです。

その案内人は、父であったり母であったり、あるいは尊敬する人であったり、
何度も読み返す本であったりします。

またもっと大切な案内人は、人の道を説く教えなのです。
ここに1つの仏典童話を紹介します。

あるとき商人が海を渡って他の土地に行って商売をすることになった。

商人の住む町は内陸にあったので、海に出る道を知らなかった。
そこで道案内人を頼んで、出発した。

海岸にでる途中、とても広い荒野を通った。
そこに神の祠(ほこら)があった。

その神の祠を通るには条件があった。
それは人を1人、生贄(いけにえ)にしなくてはならなかった。

商人たちはみんなで相談した。
私たちはみんな親しい仲間ばかりだ。誰も失いたくない。
そこで道案内人を生贄にすればいいと決めた。

道案内人を生贄にして、商人たちは出発した。
しかし、道案内人を失った商人たちは道に迷い、みんな死んでしまった。

こんなお話です。

ここでの商人は自分のことです。
商人の仲間は、自分が欲しいもの、あるいは大事にしているものです。
海は幸せの世界で、海へいく旅が人生です。
神の祠は「思うようにならないこと」、苦難とか苦しみです。
そして道案内人は、人の道を説く教えのことです。

たとえば、お寺で法話会があります。
法話会というのはお釈迦様の教えを本(もと)にしているので、
ここでは道案内人になります。

来る人にとって法話会に出掛けることは大変なことになります。
自分としてはテレビを見ていたほうがいいとか、自分の好きな事をしていたいとか、
家族とおしゃべりをしていたいとか、仕事で忙しいとか、
これが商人の仲間になります。

このときに、どれを神の生贄にするかが問題になります。

なかには商人としての仲間である、自分が欲しいものを取って、
法話会を生贄にする人もいます。

そうすると、人生の生き方を見失って、海という幸せの世界に出る前に迷い、
苦難の世を歩かなくてはならなくなるわけです。

道案内人をとれば、あのときの法話会で、
「分け与えることが大切」と教えてもらったから、
私は心を切りかえて、分け与える道を生きたいと思う。
そして、その道を歩んで海という幸せの園に至ることができるのです。

この「法愛」もこの意味で、人生の道案内人で、
この小さな冊子を神の生贄にすることなく、
自分の大切な時を少し生贄にして、読んでいただきたいわけです。

お釈迦様の教えに、
「教えを味わう楽しみは、すべての楽しみにまさる」というものがあります。

なかなかこの心境に達するのは、大変かもしれません。

私自身、道案内人としての教えがなければ生きていけない
という思いがしていますが、この言葉に出会う前は、
教えを学ぶために多くの楽しみを生贄にしてきたと思っていたのです。

でも、このお釈迦様の言葉をいただくと、
教えを味わう楽しみを日々いただいていたのだと知ります。

今年も教えを道案内人として正しく心を切りかえ、幸せの時を刻んでいきましょう。

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