法話

幸せと感謝 2 感謝できる自分

感謝の気づき

先にもお話致しましたが
「幸せな人が誰でも感謝できるとは限りませんが、感謝できる人は、幸せな人が多い」
ということお話致しました。

感謝の心をどう受け止め、自分のものにしていくかが
幸せになれる方法であるということです。

感謝には二つの方向性があって、
一つは感謝できる自分であり、二つ目には感謝される自分があります。

まず、感謝できる自分について考えてみます。

感謝できる自分を作っていくためには、
「気づく」ということがとても大切なことになっていきます。

「有るのに気づかない」で、感謝できないという事がたくさんあるからです。

森繁久弥さんという俳優がおられました。
すでに亡くなられましたが、森繁さんが長く演じていた舞台劇に
「屋根の上のバイオリン弾き」がありました。

九州での公演の時、芝居が始まったのに、
客席の最前列で少女が頭を垂れて居眠りをしていたのです。

森繁さんはじめ俳優のみんなが、
「最前列で女の子が寝ている。起こせ、起こせ」といって、
演技する中で、床を高く踏み鳴らしては少女を起こそうとしたのです。

でもついに少女は目を覚ましませんでした。

公演が終わってアンコールがあり、再び舞台の幕が上がったときです。
少女が初めて頭を上げました。

よく見ると少女の両目は閉じられていました。
居眠りをしていたのではなく、盲目であったのです。
盲目でも全神経を耳に集め、下を向いて、
芝居を心眼に写そうとしていたのです。

それを知ると、森繁さんは心ない仕打ちを恥じて、
舞台の上で泣いたといいます。

目が見えなくても、この公演を見にきたい
という少女の気持ちに気づかなかったのです。

森繁さんは
「見にきてくださるお客さんに感謝しながら、誰一人退屈させない公演にする」
という目的があったのですが、このとき少女の気持ちに気づかなかったので、
心ない行動に出てしまったわけです。

私たち自身も与えられているのに気づかないときがあると思います。

得ているのに、気づかないので有り難いと思わないし、
心ない仕打ちを相手や物にしてしまっている時があると思うのです。

たとえばお嫁さんの生き方や性格、
あるいはもっと深い人間性を培ってもらうためにお姑さんがいるかもしれません。

お姑さんも、
感謝の心をさらに深くするために、お嫁さんがいるかもしれないわけです。

それに気づかないで、互いに心ない仕打ちをしてしまうことがあるかもしれませんし、
心ない仕打ちでなくても、不平不満で日を過ごしている場合もあるかもしれません。

感謝に気づかないための方法

反面教師的になりますが、感謝に気づかない方法をお話ししてみます。

一つ目は「いつも、あたりまえ」と思って暮らすことです。
いつもあたりまえと思っていれば決して感謝などできません。

電気の付くのはあたりまえ。
水の出るのもあたりまえ。
食事を作ってもらうのもあたりまえ。
優しくしてくれるのも、もちろんあたりまえ。
こう考えるわけです。

もう一つの方法は
「まだ、足りない。もっと欲しい」と思って暮らすことです。
そう思っていれば決して感謝はできません。

このお金じゃあ足りない。
そんな愛じゃあ足りない。
もっと優しくして欲しい。

こんな思いで暮らしていると、決して幸せになれないでしょう。

このように、感謝などできなくていいと思う人は、
「これもあたりまえ、あれもあたりまえ」と思い、
さらには「まだ足りない。もっと欲しい」と思って暮らせばいいのです。

でもこれは、不幸の道を選択していると知らなくてはなりません。
こんな思いや考えを心のどこかに持っていないか、
自らに問うてみることも大事でしょう。

素直にまわりを見つめてみる

さまざまなことに気づいていく一つの方法は、
素直な心になるということです。

素直さを別な言葉でいうと、
柔らかさといってもいいかもしれません。

お釈迦さまは柔和な心をとても大切にしました、
悟りを深めていくと柔和な心を得るというのです。

この柔和で柔らかいというのは、
たとえて言えば、付きたてのお餅のようなものです。

お寺では暮れに餅をついて鏡餅をいくつも作り、仏様にお供えします。

付きたてのお餅は柔らかで、どんな形にでもなるので、
簡単に鏡餅を作ることができます。

それを自分の心に当てはめてみると、
自分の考えもあるのだけれど、心を柔らかくして、
相手の気持ちをまず察し、相手の身になって考えてみるということです。

相手の身になって考えてみると、
今まで気がつかなかったことがたくさん見えてくるはずです。

お供えした鏡餅を仏様から降ろす頃になると、鏡餅は硬くてコチコチになっています。

これを心に当てはめてみると、意固地という心境になるのです。
「かたくなに意地を張る」と言う意味で、お餅のコチコチしたのにそっくりです。

そこには相手の気持ちを察する気配はありません。
ですから、相手のしてくれていることに気づかないのです。

心を柔らかに、素直にしていくことが、気づきの大切な方法で、
その心を大切にしていくと、有り難い事を見ていくことができます。

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