法話

ほんとうの宝 3 信じるという宝

さらに宝の話を深めていくと、
信じる(信心・信仰心)ということが、また素晴らしい宝であると思えます。

人としての尊い姿は、神や仏を信じ、祈り、礼拝している姿であるのです。
慰霊するためには神仏に、亡き方の成仏を願うのが、正しい祈りのあり方です。

鴨長明(かものちょうめい)が書いた『方丈記』の中に、
養和年間(1181年頃)に、大飢饉があったことを記しています。

その大飢饉で亡くなった人のことを伝えていますが、
当時の4月から5月ごろにかけて数えたところ、
京の一条から九条まで、東京極(ひがしきょうごく)から朱雀大路(すざくおおじ)まで、
つまり平安京の東半分の所にあった死体は、計42,300体あまりと書いています。

その無数の餓死者の中を
仁和寺の隆暁法印(りゅうぎょうほういん)という一人のお坊さんが、
死者の額に「阿」の字を書いて、成仏を願い供養して歩いたといいます。

ある新聞(産経新聞H23・4・5)に、粉雪が舞う被災地を、
裸足に草鞋(わらじ)ばきで、衣を着けたお坊さんが、一人お経を唱えながら、
被災して亡くなられた方々の成仏を祈り歩いている写真が掲載されていました。
仁和寺のお坊さんと重なるものがあり、祈りの美しさを思ったものです。

この『方丈記』にはまた、大飢饉のあった同じ年に大地震があって、
揺れた当座は、人々はこの世の営みの甲斐なさを思い、
欲望にまみれた心も洗われたかのように見えたけれど、
年数がたつにつれて、そんなことは口に出して言う者さえないと書いています。

今回はこの震災の教訓をいつまでも忘れず、
豊さの中で謙虚な生き方を保ち続けることが大切に思います。

その謙虚さを作るのが信じる心なのです。
また神仏を信じることは感謝の心も同時に培っていきます。
この意味でも、信じる心は大切な宝なのです。

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