法話

ほんとうの宝 2 まごころという宝

尊く思える力が、ほんとうの宝を探す

目に見える宝の話を致しましたが、
まごころや思いやり、またやさしさといった見えないものも、大切な宝といえます。

これらの思いは人を助け、互いが支え合っていくのに、欠かせないもので、
それがまた私たちには尊いものであると分かります。

人から教えてもらわなくても、尊いものであると分かるのは不思議なことですが、
ほんとうの宝を見分けるための唯一の方法が、この尊さが分かるということではないかと思います。

困っている人のところに行って、泥棒をする。尊いと思えません。
ゴミを平気で路上に捨てる。これも尊くは思えません。
お世話になった方に、「ありがとう」とも言わない。これも尊いことではありませんね。
ですからこれらの行為は宝ではありません。

ゴミを出す日が町ではだいたい決まっています。
それなのに、決まった日にださない人がいて、その場所に花の鉢を置いたら、
みな決まった日に出すようになったという話を聞いたことがありました。

花の可憐で美しい姿を汚したくないという思いが、
みんなの心に通じていった話だと思います。
このような花を大事にしたいという思いは尊く、宝とすべきものです。

震災での思いやり

今回の震災で、被害に合わなかった日本中の方々も、
被災した人と同じように心を痛め、
何とかお手伝いをしたいという思いを抱いたと思います。

日本人ばかりでなく、世界中の人が、
日本のために「頑張れ」というエールを送ってくれました。

この4月の4日の夜にニューヨークのエンパイアステートビルの呼びかけで、
世界各都市を象徴する超高層ビルやタワーで、東日本大震災の被災者を励まし、
支援の輪を広げようと、日の丸カラーの赤と白でライトアップされました。

これらの出来事も、各国の方々のまごころと思いやりの心が嬉しいほど通じてきます。

ある新聞にこんな記事が載っていました。
少し長いのですが、思いやりの尊さが伝わってきます。

これをお読みになって、尊い思いになったならば、
そこにほんとうの宝があるということです。

岩手県の大船渡と釜石に入った米救援隊の消防士はその惨状に驚く。
それにもまして印象深かったのは倒壊したある店の女性主人だった。
その人は「何もありませんが」とせんべいを差し出したのだ。

同じく大船渡市で捜索活動をした中国の援助隊員は、
通りがかりの住民に「遠くからわざわざありがとう」と声をかけられ、
アメや菓子を手渡された。

別の隊員は現地コンビニで「援助隊なら」と代金の受け取りを拒まれ、
カップ麺やおにぎりの提供を受けたという。

苦境にあっても思いやりを失わぬ被災者の姿は外国人に感銘を与えた。

マレーシアのある孤児院で孤児が修道女らに働きかけて被災地への募金を始め、
自分らと卒業生の分も含む義援金と激励の言葉を日本大使館に寄せた。

パキスタンの地中海性貧血を患う子供たち40人は
福祉団体代表と共に日本の領事館へ被災地の子供たちにと
サッカーボール10個を寄贈した。

アジアの途上国からは
過去の日本の援助や災害支援への感謝と共に寄せられる義援金や
お見舞いのメッセージが相次いでいる。

空き缶に小銭を集めたブラジルの貧しい地区の生徒たち、
お小遣いで被災者に水を送りたいというスウェーデンの8歳の子、
日本人からは代金を受け取れないと言ったポーランドのタクシー運転手、
巨額の金と「がんばって」との一言を残していったロシアの紳士―

人へのやさしさや思いやりが地球のあちこちで小さな奇跡を起こし続けている。
「3・11」後である。

今は被災地を覆う深い悲しみも、
いつかはこの奇跡の輪の中でいやされる日がくるよう祈る。

毎日新聞 平成23年4月1日付

大震災で世界が一つになりかけていると思えるような、記事ですね。
得難い心を、みんながこの大震災から学んでいるようにも思えます。

こんな思いやりの宝をたくさん持っている人が幸せであると思えます。
この思いは津波が来ても決して流されはしない思いです。

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