延命の良し悪し
できれば家で亡くなっていくことがよいと思います。
病院の冷たい壁を見ながら亡くなっていくほど、寂しいことはないでしょう。
普段住みなれた家で最期を閉じる。
これも一つの美しく最期を迎えることだと思います。
でも、今現在、家で亡くなっていく人は少なくなりました。
2005年の統計(医療経済研究機構調査)では、
病院で亡くなる人が80%で、自宅が13%、ホームが7%です。
家で介護ができない場合、ホームで亡くなっていきたいと思っても、
身体に異常があれば、ホームから病院に運ばれ、そこで死ななくてはならないという場合が多いようです。
点滴などの過度の栄養をいただいて、少し長生きをするよりも、
延命をせず、自分の身体が使えなくなっていくのを自然に受け取って、
食を細くしていくほうが、死を受け取るものにとっては良いと思われます。
平成16年の厚生労働省検討会の報告では、
最期を迎える時、単なる延命処置はいらないという人が74%で、
医師では82%だといいます。
いつも現場にいて延命の苦しさを見ている医師は、
延命よりも自然に亡くなっていくほうがよいと思っているのです。
私の近くの医師も亡くなる時、点滴は受けなかったようですから、
延命のための点滴は、素人の私がいうのは軽薄かもしれませんが、
考えものだと思います。
家で亡くなっていく場合の心構え
できれば家で亡くなっていきたいと思いますが、
介護する家族の負担も大きいので、誰でもできるというわけにはいかないでしょう。
でも大切なことは、家族愛を常に作っておくことだと思います。
「この人は家族にとって、かけがえのない人だ」とか、
「家族にとって、とても必要な人だ」という生き方をしておくことが大事である
と思います。
それも死の練習の一つかもしれません。
家で亡くなっていく時に注意しなくてはならないことは、
いつまでも家にいたいと執着しないことです。
平安時代では、家で亡くなると、
亡くなってからも家にずっといたいと執着して、
その強い思いが成仏の妨げになるので、村に阿弥陀堂という御堂を作り、
亡くなりそうになるとそこに入って、亡くなっていったそうです。
「もうあなたの寿命は残りわずかですよ。
阿弥陀堂にいって、無事浄土の往生できるように御念仏を唱えなさい」
と言ったのです。
今よりも返って告知が進んでいたのかもしれません。
こんなことが平安時代にもあったのです。
家で亡くなると家に執着して、なかなか往生できないという考え方です。
ですからもし幸いにも家で亡くなっていける人は、家にいつまでも止まっていないで、
あの世の世界へ帰っていくんだという思いを持っていることが大事になります。
人は亡くなると、使えなくなった身体を捨てて、
心の身体(霊体ともいう)になって、あの世の世界へ帰っていくのですから、
いつまでも家にいるというのは、禅的には迷っているといえます。
亡くなったら家にいつまでも執着しない。
49日になったら、帰るところに帰ると知っている。
これも死の練習、あるいは死への準備かもしれません。
告知について
告知については、今は平安時代のように、
「あなたは死ぬから阿弥陀堂に移って、死になさい」などとはいえないものです。
それだけ信仰心が薄れてきているのでしょう。
私の知人の和尚さんが、以前二人亡くなったことがありました。
一人の和尚さんは自分がガンであることを知っていて、奥さんも知っていました。
その和尚さんが亡くなった時、もう家族とのお別れもできていて、
和尚さんが亡くなっても奥さんは気をしっかり持ちお葬式もちゃんと出してあげました。
この時、告知をしていると、
お別れもちゃんとできて、強い心を持つことができるのだと思ったのです。
もう一人の和尚さんもガンで亡くなっていったのですが、
家の人が本人にも奥さんにも知らせませんでした。
ですからお別れもないので、
和尚さんが亡くなった後、奥さんは力をおとし、
立ち直るのにずいぶん時間がかかったようです。
ですから、この意味で告知は大事であると、私は思います。
告知するにも、「死んだら何もかもおしまい」と考えている人は、
なかなか告知はできないでしょう。
告知には、あの世の知識がいるのです。
その辺を来月で・・。
(つづく)