人生に意味があり、すべてが大切な出来事であると知るために、
愛の思いを知ることが大切です。
すべての出来事や触れ合いの中に愛の思いが流れているからです。
愛とは仏教的には慈悲、慈しみの心をいいます。
この愛は私たちの尊い思いから流れ、
また、神や仏と言われる尊い存在から流れ出ている力でもあって、
この世の価値では、はかることのできない尊いものです。
その愛を知ると、自分の人生を大切にできる力になっていきます。
イギリスの物理学者でファラデー(1791~1867)という方がいました。
ファラデーが学生たちに一人の母の涙を試験管の中に入れて、
こう学生に言ったという言葉があります。
慈母の涙も科学的に分析すれば少量の水分と塩分だが、あの頬を流れる涙の中に、
科学も分析し得ざる尊い深い愛情のこもっていることを知らなければならない。
化学という物質上の知識にとらわれやすい学生に対して、
愛の深さを語った有名な言葉として残っています。
母の涙の中には尊い愛情がある。
それは目には見えないけれども、人としてとても尊いものであるわけです。
さまざまな出来事に中には、何か知れないけれど、尊い愛の思いが流れていて、
苦難の中にそれを発見したとき、何もかも大切なことなのだと知るのかもしれません。
10才になる小学生の女の子が書いた「たんぽぽ」という詩があります。
ある新聞の朝の詩に掲載され、月間賞にも選ばれた詩です。
たんぽぽ
目立たなくても
小さくても
せっかくきれいな花を
さかせているのに
少し かわいそう
でも
一度も見られていない
花なんて ない
なぜって いつも
神様が見ていてくださるから産経新聞 平成16年5月17日
この詩を深く読んでいくと、目立たなくて小さくてというのが私たちになります。
それぞれの生き方の中で、みんな花を咲かせています。
咲かせているけれども、ほめてももらえず、感謝もされない。
でも必ずどこかで神様が見てくださっていて、
「きれいに咲いたね」とほほえんでいてくださる。そう読めます。
見えない存在に育まれ見守られているという愛を深く感じた時に、
「私が生きている意味ってなんだろう。
そこには必ず深い意味があって、生かされているのだなあ」と素直に思え、
何もかも大切にできる力がでてくるのです。
すべてを宝物と思う
「何もかも大切にできる力」というお話をしてきましたが、
ごく簡単な方法としていえるのが、「すべてが宝であると思える」ようになることです。
自分の持っている宝物は大事にします。
同じように、すべてが宝物と思うわけです。
自分の旦那さんを宝だと思う。自分の奥さんを宝だと思う。
母も父もおじいちゃんもおばあちゃんも、子どもも孫も。
失敗したことや恥をかいたこと、苦しい想い出、楽しい出来事。
すべてを宝と思い、大切にしていくと、そこから何もかも大切にできる力があふれてくることでしょう。