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みにミニ法話

(261)「見えない世界の真実」

この世は見える世界です。

自然が見えて美しさを感じます。
隣の人が見える。家族が見える。
動物や花、さまざまなものが目から入ってきて、
生活に潤いを与えてくれています。

こう考えてみると、見える世界が真実で、
見えない世界は、信じられないというのが、一般的かもしれません。
しかし、見えない世界の方が、見える世界よりずっと多いのです。

人は亡くなると、骨になってしまいます。
生前の姿は、写真でしか見ることはできません。
そして生前の故人との想い出のみが残ります。
その想い出は見えませんが、心に思い浮かべることはできます。
心に思い浮かべることや心で思うことは見えませんが、確かにあります。

心で見るという表現がありますが、
この心で見るということが、とても大切なのです。

花を見ても、美しいと思う。癒されると思う。
この思いも、実際には見えませんが、確かにあるものです。

亡くなった人は、灰になって、無に帰してしまうのでしょうか。
見えないからそうだという人もいるかもしれませんが、見えない世界で、
心そのもの、あるいは霊とか魂といった姿形(すがたかたち)をして、
生活しています。

私たちの肉眼では見えませんが、心の目で見える人もいます。
心の目で見る世界の広がりは、量りようがないのです。

お盆には先祖様が帰ってくるといいますが、ある法話の中で、
お盆に先祖様が帰ってくると思う人は手を挙げてくださいと質問したとき、
誰も手をあげませんでした。

ご先祖様は見えなせんから無理はないと思いますが、
これだけお盆という行事が大切にされてきたのは、
実際に先祖様が帰ってくると、昔の人は信じ、
大切な行事として受けとめてきたのです。

死後の世界はある。
見えないけれど、亡くなれば別次元の世界で、あらたな生活をする。
真実です。

見えませんが、これが見えない世界の真実です。
そうであるならば、この世はどういう所であるのか、
なぜこの世に生まれてくるのかを問い、その難題を解決して、
今生きているこの世で、何を私がしなくてはならないかを、
真剣に考えることが大切なのです。