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みにミニ法話

(163)「ほんとうの自分」

新しい一万円札になって可なり年を経ましたが、
新札が出た当時、偽札がずいぶんでて、世間を驚かせたことがありました。

今は印刷技術もたくみになり、本物と偽物の違いが分からなくなってきました。
しかし、どこか違っていて「これは偽物」であると発見されます。
その偽札は、実際には使えませんから、なんの価値もありません。

このことを自分のこととして考えてみると、どうでしょうか。

自分には「ほんとうの自分」と「偽物の自分」があると思えるのですが、
そんなものはなくて、すべて自分だとも考えられます。

そこで偽札の場合、さきほど実際に使えなくて価値がない、
といいましたが、この自分はどうでしょう。

価値のない自分とか使えない自分、
あるいは使ってはいけない自分は、あるのでしょうか。

ある方が見た光景です。
その人が町を歩いていると、
40才くらいの女性が赤信号を無視して横断していました。

近くにいた幼い子がそれを見ていて、その子のお母さんにこう尋ねたのです。
「おかあさん、何歳になったら赤信号を渡れるの?」と。

この光景を見ていた人は、
子どもの手本となる大人が平気でルールを破っていいのだろうか、
と深く思ったそうです。

この幼い子が赤信号を渡っている女性を見て、
「自分もいくつになったら赤信号が渡れるの」という見方は、
私たち大人にとって、なぜか切ない思い、
あるいはそんなことをすると人間として恥ずかしい、という思いを感じさせてくれます。

どうも信号を無視して渡ってしまう自分は、
使ってはいけない自分でしょうし、価値ある自分とは言えません。

どう見ても、子どもにとって有害ですから、
ほんとうの自分とは言えませんし、偽物の自分です。
ですからこの場合、ほんとうの自分は、赤信号では渡らない自分になります。

このことから、私たちには「ほんとうの自分」と「偽物の自分」があるのです。

偽物の自分は価値がなく使ってはいけない自分だという観点から、
もう一度自分を見つめ直し、ほんとうの自分が使えるよう
日々、自己を見つめていくことが大切に思われます。