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みにミニ法話

(135)「家族を大切に思う」

最近、子どもによる犯罪が目立っています。
このことから社会のゆがみを感じるのは私だけではないでしょう。

この原因にはさまざまなことがあると思われますが、
ひとつに「善悪の判断」ができないということがあげられると思います。

学校での授業では、この善悪の判断をしっかりとは教えてはもらえません。
やはりこれは家庭での学びが大きいと思われます。

家庭では核家族の家が増え、
さらには共働きの親が増えることで、子どもと親の接する時間が短くなり、
子ども達には、物を豊富に与えることで、その空白を補う
という傾向が多くなってきました。

善悪の判断は、日頃の家庭生活のなかで培っていくことが非常に大事なのですが、
お金が物を言う現代、日頃の思っていることが、経済的なものの考え方に強く傾いて、 ささいではあるのですが、人として生きるマナーが守られなくなってきていると思われるのです。

またそのささいなマナーを軽視してしまって、
日々を過ごしてしまいがちな方が多くなってきたようにも思えます。

たとえば、食事一つにしても、ご飯を残さないように食べるとか、
ひじをついて食べないとか、テレビを見ながら食べないとか、
いただくときには手を合わせていただくとかのマナーがなかなか守られていないような気がいたします。

これらはみな善の行為ですが、悪とは、勝手にご飯を残したり、
ひじをついて食べたり、何も言わないで食べることになります。

これらのことは家族みんなで食事をしていれば互いが学びあっていくことができるものです。 特にお年寄りがいる家では、比較的学びやすいことでしょう。

昔あった中学2年生の男子が幼児をビルから落として
殺してしまった事件がありました。

これも家族の中で
「して善いことと悪いこと」の善悪のしつけが甘かったのかもしれません。

改めて家族の大切さと、
家族の中で善悪の判断ができる力を子どもに持たせてあげることが
いかに大事であるかが分かります。

そのためにも大人の私たちが何が善い事であり、
何が間違っていることなのかを常に学び、勇気をもって子供たちに発言できることと、 お年寄りを家族の一員として加え、互いが支えあって生きていく、
そんな家族が今とても大切になってきたことを思います。