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みにミニ法話

(117)「汚れのない心」

中国の孟子が次のようなことを言っています。

孟子が言った。

いくら絶世の美女でも、不浄な汚いものを頭からひっかけられていたら、
誰でも臭いので、鼻をつまんで通りすぎるでしょう。

どんな不器量な人でも、心と身を清潔に清めていたならば、
天の神様さえも、その人の祈りを快くうけてくださるでしょう。 と。

これはどのような意味があるのでしょう。

先天的に受けた素質や、生まれながらに授かった美貌に甘えて、心を汚してはいけないし、 生まれ出てその後、心を汚さず努力し修養を積むことがいかに大切であるかをいっているわけです。

心の思いは必ず顔や姿になって現れてきます。

よく40才になったら顔に責任を持ちなさいと言われることですが、心の思いが、必ず表に現れてくるのです。

この場合、いつも貪欲な思いや怒り、不平などの思いを抱いていると、 不浄な汚いものを、自分が自分で頭からかぶっていると同じになるわけです。

やがて、その思いが顔に現れ、行動に現れて、天の神様がみれば、いくら器量良しであっても、夜叉のように見えるのでしょう。

心を常に清潔に清らかに保って生きることは、非常に難しいことかもしれませんが、
それは天の神様も望む、人としての在り方なのです。

毎日家の中を掃除したり、汚れた衣服を洗濯して清潔にするように、 またお風呂に入って、体の汚れを落としてさっぱりするように、心を洗う修養を心がけることが大事になります。

綺麗に洗濯された服を着るのは心地よいものですし、 掃き清められた室内に、一輪花を飾って、静坐すれば、自分を取り戻せそうな気もします。

それほど、清らかにすることは力があり、大切な人としての尊さなのです。

天の神様が祈りを聞いてくださるように、生まれながらの器量さにおごることなく、
また不器量を恨むことなく、心を常に清らかに保つ努力を怠らないことです。

そう孟子が示しています。