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みにミニ法話

(104)「最善を尽くす」

生きていくための教えはさまざまですが、次の教えはどうでしょう。

「今、与えられている環境の中で最善を尽くすことです。これが生まれてきた今回の試験なのです。これを投げ出したら試験放棄と一緒で、まったく意味がなくなってしまうのです」

来世は必ずありますが、今回生まれてきて、今与えられている社会や環境は二度と体験できないものです。

今与えられている名前で生きている私、その私を取りまく家族、夫婦や子ども、親や兄弟、祖父母の関係、さらにはこの豊かな時代や教育、文化など、このなかで体験できるさまざまな事は、最初で最後になります。

ですから、今、目の前に現れている環境で最善を尽くさなかったら、この世に生まれてきた学びが半減してしまうのです。

先月に起こった秋葉原の通り魔事件は、「みな環境が悪い」という犯人のエゴによるものです。「自分を苦しめているのは、まわりの人たちだ」という考え方です。
だから「この社会が亡くなってしまえばいい」となり、皆殺しという発想が出てくるのです。

子どももそうです。「学校がなくなってしまえば、いやな勉強をしなくていいし、いやな先生や友達に会うこともない」といって、学校を放火する事件を耳にします。
これも環境が悪いという、同じような考えからきています。

今与えられた環境を変えるのは至難の業ですが、自分が最善を尽くして努力していけば、やがて環境も変化してきて、自分にあった環境に変わってきます。

その努力を怠って、人や環境のせいにししていると、そこからは何の学びを得られなくなります。

これは試験の解答を放棄して、この試験が悪いとなるのです。とにかく解答欄に自分の答えを書くことです。それは今の環境のなかで、最善を尽くして生きるということになるでしょう。

そしてこの試験の参考書になるものが「教え」です。教えを日々学び、それを体験にまで高めて自分のものにしておくと、どんな環境にも意味があり、大切なことを教えてくれる場であることを知るのです。