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みにミニ法話

(98)「この世は魂の修行の場」

一つの言葉で救われ、またその言葉で深く人生を考えさせられる時があります。
できればそのような言葉を語れる人になりたいと思います。
次の投書は臨済宗妙心寺派で出している『花園』という月刊誌に掲載されたものです。「老女の言葉」という題で、春日井市にお住まいの女性の方です。

昨年、師走の町に、厚生省のえらいさまが逮捕されたとか、
指名手配中の物騒な犯人が、やっと捕まったというニュースが流れていました。
夕暮れでした。

電光板のニュースの文字を読みながら、バス停で私はバスを待っていました。
同じくバスを待っていた見知らぬ老女が、話しかけてきました。

「この世は魂の修行場、
悪いことをすりゃ、死んでもまた生まれてきて、
修行のし直しをせにゃならん。
誰でも自分のまいた種は自分で刈らにゃならん。
なんでそれが分からんのでっしゃろなあ。
こんな人が多うなったら、これからの日本どうなるんでしゃろなあ」

少し背中の曲がった、七十歳はとうに過ぎていると思われる、眼の澄んだおばあさんでした。
この言葉はどんな立派なお寺で聞く法話よりも、強く私の胸に染みました。

「この世は魂の修行場」とか「自分のまいた種は自分で刈らにゃあならん」と言っています。 長年生きてきた老女の知恵でもあり、人生の機微を言い当てた言葉でもあります。

そして、この言葉に深く思うところがあって、このような投書を書かれた女性の方も、この言葉を「なるほど、そうだ」と素直に思ったのです。

この世という修行の場は、楽しみもありましょうが、苦しみや辛い体験をしなくてはならない時もあります。そのために努力も必要でしょう。
しかしそれらのことによく耐え、悪を捨て、善を取り、正しく生きていくところに人としての成長があり、また人として大切なものを得ることができるのです。
そんな生き方が、確かに自らの幸せを築いていくのです。