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法華経の詩

法華経の詩(50)

薬草喩品 第五(9)

世尊なる仏は
一切のものは等しく 常に平等であり
みな 仏性(ぶっしょう)を宿しているのだという
この不滅なる幸せの境地を 正しく知るために
いくつかの教えを説いた

まず三道(さんどう)という 
三種の修行の段階を教えた

三道のひとつは見道(けんどう)である 初めに
善因善果 悪因悪果という 因果のことわりを知り
自己中心的な 我見(がけん)に満ちた見方を捨て
調和を乱す我欲(がよく)から離れ
正しく世の中を見ること

そして
この世は生まれ 老い 病となり 死んでいく
その四つの苦しみをよく観察(苦諦・くたい)し
迷いの生活は苦しみであると知ること
さらに その苦しみの原因(集諦・じったい)が
欲望の尽きない煩悩からきていることを知ること
次に その欲望を滅して(滅諦・めったい)
幸せになろうとすること
そのために どう生きればよいかの
道(道諦・どうたい)が 必要となる

その道には 八つの道がある
正しく見 正しく思い 正しく語る 
正しく行い 正しく生活し 正しく努力する
正しく念じ 正しく定(じょう)に入って
自分の内にある邪心を祓い 心を清らかにしていく
この苦・集・滅・道の四つの真理(四諦・したい)を 明瞭に観察するのが 見道だ

二番目に 見道で知識として得たものを
実際に 具体的に体験し 修練していくのが
修道(しゅうどう)だ
三番目に 無学道(むがくどう)といって
もう 学修すべきものがないまで
ここに説いた真理を 自分のものとしていく
この三道の「さとり」を
まずは極めることだ と説いた