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しきたり雑考(67)

風という魔

今月は「風という魔」ということでお話しします。
{『しぐさの民俗学』ミネルヴァ書房 常光徹著 参考}

現在の高知県にあたる土佐の真覚寺の住職をしていた
井上静照和尚(1815〜1869)の書いた日記の中に、
風について書いたものがあります。
昔の文献なので現代語にしてみます。

誠に風は不思議なもので、眼もないのに昼と夜が分かり、
手もないのに樹木を折り、足もないのに土や砂を蹴り上げ、
火を誘って家を焼き、波を怒らして船を転覆させ、 どこを探しても風の姿を見た人はなく、こんな恐ろしいものはない。

しかし、暑くてたまらない炎天下では風がなければ死に侵され、
団扇(うちわ)で風を寄せつけて涼をとる。
実に善にも強くも悪にも強い。まるで風は神といえる。

こんな文章です。よく風のことを表しています。

そんな風ですが、現在は天気予報も可なり正確に、
しかも科学的に天候や雨、風の予想をたてるので、
昔の俗信を信じる人はいなくなりました。

昔の人は何故、風が起こるのかを知らず、
その風が魔物の仕業であるかもしれないと思っていたのです。

昔の人は天候の変化を予知することができず、突風や風雨に襲われるのを、
何か「えたい」の知れない悪霊の仕業ではないかと思ったのです。
今でも竜巻が起こって家屋が飛ばされる映像をみると、
そんな思いもふと感じるときがあります。

ある地方では「暴風雨は悪魔が来る」と言い伝えがあるようで、
こうした考えは日本に広くみられるようです。
青森の八戸地方では「大風が二日も三日も吹き続けると、
上のほうで『魔物』が生まれたとか『鬼の子』が生まれた」
という俗信があるようです。

冬季に北西からくる大風を霊風(たまかぜ)といい、
この風に吹かれて遭難する船が多かったようです。
この霊風は海で死んだ船乗りたちの怨霊が移っていると船乗りたちは信じ、
今でも屋敷の北西の隅に鎮守を祀ったり、
榎を植えて悪風を防いだりしているようです。

その風を鎮めるために、昔の人が行った方法を
次回、お話し致します。

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