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しきたり雑考(22)

葬列を見たら親指を隠す

今月は「葬列を見たら親指を隠す」についてお話しいたします。

昔から、葬列を見たら親指を隠せということが言われました。
今では葬列はほとんど見られなくなったので、
葬列から霊柩車に変わっているようです。

なぜ、このような言葉を掛け合ったのでしょう。
調べてみると二つの理由があるようです。

一つ目です。
「親の死に目に会えない」とか、「親が早死にする」とか、
「親を取られる」といったような、何らかの災いに遭うから親指を隠すというのです。

死霊を恐れることは昔から言われていていましたが、
特に、この葬列によって死霊が何らかの悪影響を及ぼすと思ったのです。
自分自身も、あの世に連れていかれてしまう。
そう感じ取っていたのかもしれません。

そのとき親指を隠すことで、その恐れを除くと信じたのです。
なぜならば、どうもこの親指が霊魂の入り口であると感じていたようです。

疫病も親指から感染する。
そんなことも信じていたようで、そのとき親指を隠せば、
変な霊に取り憑(つ)かれることもなく、疫病も防げると思ったのです。

夜道でも親指を隠していると、狐に化かされることがないというのも、
狐の霊が親指から取り憑(つ)くと信じていたからです。

もう一つの理由です。
それは親指を隠すようにして折り曲げることが、
気を充実させるための最善の方法であるというのです。

自分の気を充実させることで、
葬列を見た時や霊柩車に出会った時、死者から発せられるマイナスの霊気が、
自分にやってきて取り憑かないようにしたのです。

親指をぐっと手のひらの中に入れて折り曲げる。
それが自分の気を充実させ、悪なるパワーを跳(は)ね返す力となるわけです。

亡くなったばかりの遺体には、やはり霊気が発せられ、
そこにさまざまなマイナスの霊気がよってきやすいのは確かです。
そんなときに、家族の故人を思うあたたかな思いが、
そんな霊気を跳ね返すことも知っておきましょう。

さらには、犬に吠えられたりしたとき時など、
親指を隠して気を充実させると良いという言い伝えもあります。

昔の人は、すこぶる霊的で、見えない存在を信じていたのかもしれません。

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