今月は「正月のお餅」についてお話し致します。
(板橋春夫説参考)
お正月に、餅はなくてはならないものです。
お供えにしたり、焼いて食べたり、お雑煮にして食べます。
もともとお餅には力のつく栄養力があるのかもしれません。
この餅は正月ばかりでなく、上棟式にお供えしてまいたり、
仏教では大般若法要などで、やはりお供えし、
その餅をみんなで食べて力をいただく、そんな風習が今でも続いています。
平安時代の書物に、
「餅は福の源だから、福の神が去って衰えていくときに、
福の体としての餅を年始にいただく」
という意味の記実があるようです。
昔から餅は福の源を意味し、
さらには「福の神」であると信じていたわけです。
ですから、正月の鏡餅は福をもたらす福の神なので、
仏壇に供えたり、神棚にお供えして、今年1年の豊作と無事を祈るわけです。
そんな福の神が宿っている鏡餅は、
1月11日の鏡開きのときには、神様との縁が切れないように、
その鏡餅を包丁などを使って切らず、木槌なのでたたいて割るのです。
この割るも「神様を割る」になって縁起がよくないので、
開くという言葉を使って、「鏡開き」というわけです。
福引といって、
よくお正月にくじ引きをして景品をいただく、そんな催し物があります。
これも年の初めに、2人でひとつの餅(福)を引っ張り合い、
取り分の多少によって、その年の吉凶を占ったという、
そんなところから福引ということが出て来たとも言われています。
餅には霊力があって、邪を祓う力もあると考えられていました。
鹿児島県の甑島(こしきじま)では、大みそかの晩に、
トシドシ(年殿)という年神がやってきて、餅を配ってあるくといいます。
この丸餅をトシトリモチ(年取り餅)とかトシダマ(年玉)と呼び、
鬼のような仮面をつけて変装した村人が各家を回って、
子ども達に配って歩く儀礼(『民俗学がわかる辞典』から)で、
子ども達は、この餅をもらわないと年をとることができないといいます。
この儀礼で餅の霊力を子ども達がいただき、この一年、
病気をせず無事に暮らせますようにという願いから行われているとも考えられます。
神様の宿るお餅ですから、感謝していただきましょう。