今まで如来について語ってきましたが、
今回から「菩薩」についてお話をしたいと思います。
まず如来と菩薩の違いです。
如来は法を説き、時代に残る仕事をしていきますが、
その如来を助ける働きをしているのが、菩薩といえます。
釈迦如来の両脇に端坐している仏は、文殊菩薩と普賢菩薩ですし、
阿弥陀様には観音菩薩と勢至菩薩が付き添っています。
この形は如来を助けるということを現わしているのです。
一般に菩薩は自らの問題を解決し、人のために働くことを喜びとしている仏です。
仏教では転生輪廻(てんしょうりんね)といって、
自分の問題を解決できない間は、生まれ変わりを余儀なくされるといいます。
菩薩はそんな問題をすでに解決し、自らの意志で人を助けるために、
この世に生まれてくるとされているのです。
もっと広い意味では、菩提心(ばだいしん)といって「悟りを求める心」を起こし、
修行に励んでいる人を菩薩ということがあります。
私は悟りを求めたい、そのために修行をしています、
と言えば菩薩といえるわけです。
しかし、菩薩にもさまざまな段階があって、
如来を助け、また人を助けるために生まれてくる菩薩は、
悟りの高い菩薩といえましょう。
よく親しんでいる菩薩は、観音様や地蔵様などありますが、
如来の姿とはずいぶん違いがあります。
如来の多くは装飾品をつけていませんが、
菩薩になると宝冠をかぶり、たくさんの装飾品を付けています。
これは一般の人たちと変わらないことを現わし、
私たちととても身近な存在であることを示しているようです。
後で詳しくみていきますが、
地蔵菩薩などは、髪を剃り、坊主頭をし、袈裟も付けています。
どうしてでしょうか。
禅宗系のお坊さんは頭を剃っている方が多いのですが、
私たちと同じ姿に身を置き、驕(おご)らずに人を助ける仕事をしているからでしょう。
それほど謙虚に仕事をされる仏が、菩薩といえます。